イオ・ユウコムラタ(08年3月)=大原広和氏撮影
シアタープロダクツ(07年3月)=大原広和氏撮影
ネ・ネット(06年9月)=大原広和氏撮影
ミントデザインズ(05年10月)=葛谷晋吾撮影
東京を有数のファッション都市に――。その期待を込めた「東京発日本ファッション・ウィーク」(JFW、ファッション戦略会議主催)が、3月で3年度目を終えた。ファッションの世界で官民が初めて本格的に協力した催しだ。国のバックアップも得て、東京はパリやミラノにどこまで迫れたのか。
◆若手育成、ビジネスは苦戦
毎年春と秋、都内でファッションブランドが連日のショーを開き、関連企画を催す。今春は3月10〜16日、六本木を中心に開催。45ブランドが参加し、バイヤーや報道陣約1150人が集った。
事業費の5割は国が負担する。ファッションを、アニメやゲームのように世界に通じるコンテンツに育てたいのだ。この3年で、約13億円を拠出した。
今年の開幕を飾ったデザイナーは保井秀信さん。初参加ながら、会場費を免除される支援ブランドに選ばれ、開幕までを追う密着ルポはテレビ放映もされた。
ただ、ショーの後の作品展示会は計算違いだった。若手8ブランドの合同展を開いた3日間、バイヤーや見学者の姿はまばら。保井さんの手元に残ったバイヤーの名刺は6枚だ。「ショーで僕の存在は知ってもらえたけれど、ビジネスの道筋が見えない」と保井さんは厳しさをかみ締めた。
JFWの主目的は有望新人の発掘・支援だ。保井さんのように、3年で延べ33組がショー会場の無償提供を受けた。海外の名門校で学んだ新人デザイナーの参加も増え、層は厚くなった。ただ、継続的に参加し、商品が売れて次のコレクションに向けて投資する――というビジネスモデルが確立したブランドは限られる。
◆幅広さ魅力だがスター不在
JFWには、世界への情報発信の期待もかかる。日本貿易振興機構(ジェトロ)の支援で欧米ファッション業界紙に開催広告を出し、シンガポールや韓国で事前に記者説明会を開いた。欧米の記者らを毎回数人招き、各媒体に報告を掲載してもらってもいる。
こうして、初めは約60人だった海外メディアの登録者数は今や200人超に。この3月に招かれた仏誌ドゥーブルのジェローム・ハノーバー記事担当編集長は「皇室御用達の保守的なブランドに続いてゴスロリ系やアニメ系のショーがある。東京はパリやミラノより幅がある」と言う。
しかし、一度招待された後、自前の費用で再度取材に訪れた記者はいない。
スポーツウエア・インターナショナル誌米国版のクリストファー・ブロムキスト記者は「街にパリやニューヨークのような盛り上がりが感じられない。メディアの扱いも小さい」と言う。
国内ファッション誌の関心は低い。エル・ジャポンが今回初めてJFWに協賛し、一般を対象にイベントを開催、4月下旬発売号で約20ページの特集を組むのが目立つ程度だ。
雑誌関係者の間には「高級ブランドが集まる欧米コレクションと違い、東京は広告収入に結びつくブランドが少ない」「読者の関心が薄く、企画を組んでも部数増につながらない」という声がある。
日本の有力ブランドが続々と、パリに主な発表の場を移し、スター不在なのも弱み。ヴォーグ・ニッポンの斎藤和弘編集長は「見るべきものはあるとは思うが、モード誌がショーの作品を元に批評を加えたいと思わせるエネルギーが感じられない」と語る。
さらには会期の問題もある。JFWは05年秋、それまで東京ファッションデザイナー協議会が主催した東京コレクションを引き継いで始まった。東コレの会期は2〜3週間だったが、JFWは、海外からの来場者も短期間で見られるようにと約1週間に短縮。だが、JFWの枠に加わらず、その後に独自のショーを開くブランドも多く、今年も4月まで約30のショーが続く。相対的にJFWの存在感は薄まる。
08年度以降、国の支援は3年で6億円に減る。経済産業省の宗像直子繊維課長は言う。「JFWの枠組みの定着と、認知度のアップは図った。今後はアジアも含めて国内外からバイヤーやスポンサーを呼び込み、ビジネスに結びつけたい」
ファッション戦略会議の太田伸之委員は「ユーロ高の今は、むしろ『メード・イン・ジャパン』復権のチャンス」ととらえている。
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