現在位置:asahi.com>ファッション&スタイル>ビューティー> 記事 日本の若手デザイナー、パリを拠点に飛躍2008年05月05日 グローバル化の波の中で、海外を拠点に活動する日本の若手デザイナーが増えている。なかでもその数が多いのが、世界的なファッション都市とされるパリ。「もの作りの環境が整っているから」というのが理由らしい。パリに住む3ブランドのデザイナーに聞いた。(編集委員・高橋牧子)
布の量感の微妙なバランスだけで見せる、ごくシンプルなミニドレス。コムーンの服は、都会的でシャープに見える。意外にもほとんどの生地はオーガニック素材だ。そんな作風が受けてか、まだデビュー6季目でパリ・コレ参加は2回目なのに、欧米の百貨店など35店で販売されている。 「少しでも境界を越えたら、バランスが壊れてしまうような危うい関係性に興味があって」とデザイナーのひとり、堀海斗(ほりかいと)は語る。 堀は、77年生まれで、米国やオランダで学んだ。コンビを組む古舘郁(ふるだていく)と出会ったのがパリ。古舘は、76年生まれで、英国で学びパリのファッションブランドで働き始めていた。「物余りの中で、半永久的に着られる服を作りたい」との思いで2人は意気投合した。 「時代を超えて残っていくには、多少高価でも着心地がよく、ディテールを吟味したものがいい。そうなるとハイファッションにならざるを得ない。国際的に販路が広がるパリの方が都合がいい」と古舘はいう。 ◆古素材生かす ゴーレムの服は、新品なのに古びても見える。洗ってしわしわにしたカンガルー革に、ひび割れた真珠風の飾りを刺繍(ししゅう)したコート。ぼそぼその毛皮の切れ端をそのままステッチしたジャケットもある。 生地にはいつも古風な手仕事を施し、のみの市でみつけたボタンや羊皮紙などを取り入れる。「何百年も前に出来た傷なんて、今の技術でも再生できない。それが現代に生かされて変わり続けたら面白い」とデザイナーの前濱進作(まえはましんさく)は言う。 沖縄生まれの31歳。文化服装学院を卒業後、パリでクチュール技術を学び、高田賢三に師事。04年にブランドを設立した。少年時代から、古い地図やカギを集めていた。 「パリは素材集めから住環境、モードへの理解度など、服作りの環境が整っている。何よりも古い素材がそのまま残っているパリは離れられない」と語る。 ブランド名はユダヤ伝説に登場する土の人形の名。「民話の中では人形に魂を吹き込んで民を守った。僕も手仕事を加えることで、服に何か命のようなものを吹き込みたい」 ◆自己表現の場 瀧せい子はフリルやリボンを使っても、服を甘過ぎずクールに見せる。着る人の側に立って、現実的な感覚を大事にする。「ぱっと簡単に着られるけれど、ディテールが凝っていて、周りに余韻を残すような服が作りたい」という。 デザイナーになる前は、北海道・室蘭の高校で「保健室の先生」をしていた。人の役に立つ仕事として養護教諭を選んだが、病弱だった子供の頃からベッドで始めた編みものなどの「自己表現」が忘れられなかった。 33歳で東京のファッション専門学校に入学。どの道目指すなら本場のパリ、と2年後に渡仏した。仕立ての資格を取り、パリの新進デザイナーのアシスタントに。昨年3月、自分の名前のブランドを立ち上げた。 パリでスタートしたのは、「フランスは、過去になかったものを創造することを高く評価する」のが理由だった。「日本では、どうせできっこないでしょと言われがち。年齢は問わずに、夢を実現したい人には適した場所なのでは」 ◇写真はいずれも長谷部玲香氏撮影 この記事の関連情報注目アイテムPick UP - ゆとりのあるライフスタイル asahi.com SHOPPING
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