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共感誘う 逆転の思考 シャネル・ブームをよむ

2009年6月29日14時54分

写真:映画「ココ・シャネル」今夏、全国公開 ©2008 ALCHEMY/PIX ALL RIGHTS RESERVED.拡大映画「ココ・シャネル」今夏、全国公開 ©2008 ALCHEMY/PIX ALL RIGHTS RESERVED.

写真:映画「シャネル&ストラヴィンスキー」来年、全国公開 ©EUROWIDE FILM PRODUCTION拡大映画「シャネル&ストラヴィンスキー」来年、全国公開 ©EUROWIDE FILM PRODUCTION

:映画「ココ・アヴァン・シャネル」今秋、全国公開 ©Haut et Court−Cine@−Warnerbros.Ent.France et France 2 Cinema拡大映画「ココ・アヴァン・シャネル」今秋、全国公開 ©Haut et Court−Cine@−Warnerbros.Ent.France et France 2 Cinema

写真:山田登世子(愛知淑徳大教授)拡大山田登世子(愛知淑徳大教授)

 シャネル・ブームの観がある。今夏から来年まで、舞台が2本、映画が3本とたて続く。若い頃の恋愛劇から70歳でのカムバックまで、どれもシャネルの人生にスポットをあてたものだ。ラグジュアリー・ブランドとしてのシャネルよりも、ココ・シャネルというひとりの「はたらく女」の生き方がわたしたちに近しいものになったからだろう。

 数十年前まで、女性起業家はもちろんのこと、世界のトップをゆくキャリアの女はまだ遠い存在だった。だが今はちがう。生涯シングルで働き続けたココのライフスタイルは、華やかな世界的成功こそなお遠くはあれ、現代のキャリアの女たちと地続きなのだ。その親近感が、わたしたちとシャネルをつなぐ。

 70歳でのカムバックという「奇跡の偉業」も、現代ならありうる事として考えられる時代である。シャネルに学べるところまで、女性の社会進出が進んだのだ。しかも、学べるのは華やかな「成功」だけではない。そのきらびやかな成功のかげにあった孤独な忍耐と労働の日々。恋と仕事の両立の難しさ――むしろこの影の部分こそ、はたらく女たちの共感を呼びおこすものではないだろうか。

 実際、シャネルの生涯には沈黙につつまれた影の歳月が多い。一つは、カムバック前にスイスなどで過ごした15年間。第2次大戦中に美貌(びぼう)のドイツ将校と恋におちたココは戦後国外に逃れざるをえなかった。この空白の歳月は今も謎のままに残されているが、シャネルには、それよりなお暗い秘密に閉ざされた過去がある。父親に捨てられた少女は、12歳から17歳までの多感な青春期を孤児として修道院で過ごしたのだ。シャネルはその過去を決してひとに明かさず、生涯隠し続けた。きらびやかな成功の始めには、誰にもいえない孤独と貧困があったのだ。

 昨年、渡仏の折にその修道院を訪れた。フランス中部の山里オバジーヌに建つ修道院にあるのは、ただ静寂と土の色のみ。厳しい禁欲をもって知られるシトー修道会は、聖堂の建築にも「装飾」と「色」を禁じた。その修道院の色のないステンドグラスを見たとき、シャネル・モードの原点にふれた感動がからだを走り抜けた。まさにそれこそ、シャネルの「黒」「白」の原点だった。黒は修道会の制服でもある。シャネルが後にキャリアの「制服」であるスーツを創案するのも、この暗い青春期のネガをポジに変えた「逆転の思考」のたまもの以外の何ものでもない。

 そう、逆転の思考。それこそ、この稀代(きだい)の起業家の人生をつらぬく一本の糸である。強いられて着せられた「黒」を、モダン都市のおしゃれな色にして、美々しい色を流行遅れにしてしまう。装飾禁止を逆手に取って、「シンプル」をモードにする――。シャネルのモード革命はほとんどすべてがこうした逆転の思想から来ている。貧しさこそが新しい「ラグジュアリー」の原点なのだ。

 ドラマチックな明と暗に彩られたシャネルの生涯は、成功の陰にある華やかならざるものの価値を教えてくれる。カムバック前の不遇の時代、親しい作家にむかってシャネルは語っている。「人生がわかるのは逆境の時よ」と。

 そう、この大不況の今こそ、新しい何かを創造するチャンスではないのだろうか。シャネルの人生は、暗い時代の希望の在りかをわたしたちに教えている。

    ◇

 やまだ・とよこ 福岡県生まれ。名古屋大大学院博士課程修了。95年から現職。専門はフランス文学。著書に「晶子とシャネル」「シャネル―最強ブランドの秘密」ほか多数。7月に「贅沢の条件」を出版予定。

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