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フィレンツェ 仕立屋 静かに息づく 日本青年が職人に

2011年8月1日10時13分

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写真:フィレンツェでサルトとして活躍する宮平康太郎さん。8月末には東京で受注会を開く 拡大フィレンツェでサルトとして活躍する宮平康太郎さん。8月末には東京で受注会を開く

写真:宮平さんの師匠の一人、フランチェスコ・グイーダさん 拡大宮平さんの師匠の一人、フランチェスコ・グイーダさん

写真:「G・セミナーラ」のジャンニ・セミナーラさん 拡大「G・セミナーラ」のジャンニ・セミナーラさん

写真:質の高い裏地や糸をそろえるフィレンツェ市内の店 拡大質の高い裏地や糸をそろえるフィレンツェ市内の店

 イタリアの古都フィレンツェには、サルトリア(仕立屋)の世界が、今も静かに息づいている。丹精込めた手縫いの技で、スーツを一着ずつ縫い上げる。華やかなトレンドとは無縁の世界を、この街で「サルト(仕立職人)」として活躍する日本人、宮平康太郎さん(29)に案内してもらった。

◆裁断・着せつけ・縫製 一人でこなす

 「手縫いで柔らかく縫い、生地が行きたいところに自然に行かせてあげる。それがイタリアのサルトリアのスタイルです」

 フィレンツェ市内にある古いマンションの一室で、サルトリア「コルコス」を営む宮平さんは、自らが手掛ける紳士服についてそう語る。

 服が大好きで10代からセレクトショップで働いたが、手仕事に憧れ、22歳でフィレンツェに渡った。

 きっかけは、地元・大阪のショーウインドーで見かけた1着のツイードのジャケットだ。「普通のジャケットでしたが、その普通さがメチャクチャ格好良かった」

 「1人で1着を縫い上げるサルトになりたい」という思いを抱え、フィレンツェにあるジャケットの製造元「G・セミナーラ」に押しかける。「イタリア語も話せないのにそのまま居着いて、一から技術を学びました」

 ミシンや接着剤を使わず、手で縫い上げる。芯地はできるだけ薄いものを使い、アイロンプレスで着る人の体形に生地を沿わせる。出来上がるのは、柔らかく、着ていることを感じさせない服だ。

 顧客のスタイルはモデルとは違い、アンバランスなことが多い。体に合わせて縫い上げた服も、当然アンバランスになる。「でも3、4年着込んで着ジワが入るうちに断然格好良くなるんです」

 着ることによって初めて完成する服。だからこそ、ポケットまで手で縫い付け、生地に自由を与えるのだという。

◆7歳で修業開始

 独立する前、宮平さんは数人の師匠に弟子入りした。その一人、フランチェスコ・グイーダさん(60)に会った。イタリアで一流サルトへの登竜門と呼ばれるコンテスト「フォルビチ・ドーロ(金の鋏〈はさみ〉賞)」の受賞経験を持つ。7歳で修業を始め、今も自分の手でスーツを縫い上げる。

 30年前のフィレンツェには、技術の高いサルトリアが40軒以上ひしめき合っていたという。ほとんどはナポリ、シチリア、カラブリアなど南イタリア出身の職人が開いた。「顧客の多くはフィレンツェ周辺の工業都市の経営者たち。わざわざ街に来て、何着もオーダーしていった」

 だが、時代とともに既製服が主流に。一人前になるのに時間がかかるサルトは、敬遠される職業になっていった。

 数少ない若い世代のサルトたちも、職人一筋のフランチェスコさんの目には「純粋なサルトというより実業家。仕立てはあまり知らないが、経営は知っているというタイプが多い」と映る。

◆仕事を語り継ぐ

 服の素材を買いに行くという宮平さんとバスに飛び乗った。市の中心部から10分。着いたのは、宮平さんが「付属屋」と呼ぶ小さな店だ。

 壁一面にボタンや糸を入れた引き出しや様々な色の裏地が並ぶ。持ってきた生地に合わせ、数種類の裏地を購入した。「同じグレーでも色んなグレーがある。生地にピタッとくるものを相談しながら決めました」。裏地も糸も最高級品。店主のアドバイスも的確。だが、こんな店も、今では数少なくなった。

 宮平さんが修業した「G・セミナーラ」の2代目、ジャンニ・セミナーラさんは言う。「残念だが、サルトの世界は衰退している。フィレンツェやジェノバでは店を構える職人も減った。ミラノ、ローマ、ナポリでは生き残るが、分業制を導入した工業的な生産に移るだろう」

 今や、衰退の危機にあるサルトリア。手仕事の良さを、いかに受け継いでいくのか。フランチェスコさんは、宮平さんに弟子入りを許した理由を「私のアルテ(技能)を若者に教えるのは愛情を感じる仕事。私が消えても、私の仕事を他の人に語り継ぐことができるから」と語る。

 宮平さんは言う。「僕が魅力を感じたのは、裁断、着せつけ、縫製まで一人でこなす職人技の世界。イタリア人がやらなくなっても、それを学んだ人間がいる限り、サルトの世界は無くならない」(竹端直樹)

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