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2012年2月10日11時33分
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津森千里さんインタビュー ハッピーになれる服作る

写真:ファッションデザイナーの津森千里さん  

拡大ファッションデザイナーの津森千里さん

写真:「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影拡大「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影

写真:「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影拡大「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影

写真:「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影拡大「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影

写真:「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影拡大「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影

写真:「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影拡大「ツモリチサト」の2012年春夏コレクション=大原広和氏撮影

 明るい色彩に刺繡(ししゅう)やポップなプリント柄。津森千里さん(57)が手がける「ツモリチサト」の服は「元気でカワイイ」と評されることが多い。昨秋パリで発表した春夏コレクションのテーマは「カリブを旅する女の子」。ヤシの木、ワニ、鳥たちがTシャツやワンピースで踊る。

 「東日本大震災があって、よりハッピーになれる服を作らなきゃいけないと思った。楽しく、でも気負わず、癒やされるくらいのんびりした感じ」

 狭山市の出身。28歳まで自宅から都心のオフィスに通勤していた。

 「家のそばに山や小川があって。子どもの頃は、シロツメクサの首飾りとかササの葉のカメを作ったことも。私にとっての『カワイイ』は、手で作った心あたたまる感じ。この頃の手の経験が、私の原点かもしれません」

 幼い頃から人形や猫の服を縫っていた。高校時代は、雑誌の付録の型紙で最先端のパンタロンやジャンパースカートを自作。母親がそんな津森さんに、数多くのデザイナーを世に送り出した文化服装学院への進学をすすめた。

 「『そんなにお洋服が好きだったら行ったら?』って。母は女の人も自立すべきだと考えていた。手に職を持つべきだと。逆に結婚はすすめなかった。ちょっと変わってましたね。進学直後は、デザイナーは夢のような感じがして。服作りを教わった隣のおばさんが仕立屋で、その人みたいになれればいいかな、と思ってた」

■育児も仕事の活力に

 在学中、コンテストで入賞を重ねた。卒業後、三宅一生氏の会社から声がかかり入社。数年で一つのブランドのチーフデザイナーに就任。デザイナーの階段を駆け上がった。一方、1988年には長男を出産し、デザイナーと母親の二足のわらじを履くことに。

 「保育所で夜7時まで預けてシッターさんにお迎えに行ってもらって。私が忙しくなると、なぜか子どもが入院するんです。昼間は私の母が病院に行って夜は私が泊まる。朝、病院から会社に行きました。子どもがかわいいから、仕事を続けられた面もあります」

 「子どもが小学校まではPTAの役員をしたり一緒に受験勉強したり、ばっちりやりました。中学から私の子育ては『卒業』。お弁当作りや学校行事は父親にバトンタッチしました。弁当を渡せずに子どもが『買いパン』すると、学校側から『お弁当は母の愛です』とか言われて。でも、働く親の姿を見せてたから、子どもも分かってたと思います」

 新ブランドを立ち上げた当初は売り場が少なかったため、苦戦を強いられた。限られた予算の範囲内で物作りをした。

 「冷蔵庫を開けて何か作ろうと思った時、中にあるもので作るじゃないですか。服作りもそんな感じなんです、私。冷蔵庫が満杯に詰まっている方が好きだけど、お金がない時は少ない食材を工夫して作る。主婦のやりくり感覚みたいな感じですね。おいしければいいわけだし」

 「『冷蔵庫』に物がなかった頃、ニットに並縫いで猫の刺繡をして、圧縮をかけたら絶妙な雰囲気になった。その作品が雑誌の表紙を飾ったの。食材がなくてもよくやったなって思ったのを覚えてます」

 今では国内47店舗、海外ではパリを皮切りに香港、クウェートなどで15店舗を構える。一昨年、ブランドは20周年を迎えた。

 「学生時代から、自分が着たい、好きって思う物を作り続けてきた。偽りの自分だと続かないじゃない。それが『カワイイ』と言われる」

 「欧米には『カワイイ』の概念がなかった。パリに出店する時、『セクシーな服に』と言われて意識したけど、だんだん『自分が着られているから、いいじゃん』と自然体になってきた。私は、作った服を全部着こなす自信があります。作っているものは全部『私』。服を通して自分を表現するのが、私の仕事だと思っています」

■ハングリーに挑戦を

 春夏コレクションは、コスタリカ旅行で出会ったものがモチーフに使われている。旅行先がデザインのテーマになることも多く、これまで約30カ国を訪れているという。

 「いろんな所に行きたいですね。いろんな文化に触れて、人と会って、物を食べて……。様々な刺激が頭に入ってくると、次の創作へのエネルギーになる」

 「今の若い子は日本が一番いいから、ここの生活でいいって言う人が結構いると聞きます。息子は留学していますが、最初は嫌がった。私からすると信じられない!って思っちゃう。日本の若者は、エネルギーが微弱で電波が立ってない感じ。狭い中で固まったら、ちっちゃい自分になっちゃう。もっとハングリーに、もっとチャレンジして欲しいなと思います」

■取材を終えて 創造と事業の両立

 トレードマークの三つ編みにつやつやの肌。10年前、パリコレに参加する前に取材した時より、若々しくなったように感じた。女の子の「カワイイ」世界を追求する一方、子どもの頃は職業を「食べられるか」で判断するリアリスト。創造とビジネスの絶妙なバランスの原点を見た気がした。次の目標は「ニューヨーク進出」。着実に歩みを進める津森さんの挑戦に、注目していきたい。(帯金真弓)

     

 つもり・ちさと 1954年生まれ。77年に「イッセイミヤケインターナショナル」に入社。83年に同社のブランド「I.S. Chisato Tsumori Design」デザイナーに。90年に自身のブランドを発表し、2003年からはパリ・コレクションに参加。

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