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ピエール・カルダン、「革新の60年」を語る モードを民主化したパイオニア

2010年11月19日10時19分

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写真:コスモコールルック(1968年)=ピエール・カルダン社提供拡大コスモコールルック(1968年)=ピエール・カルダン社提供

写真:1969年のオリンピック航空の制服=ピエール・カルダン社提供拡大1969年のオリンピック航空の制服=ピエール・カルダン社提供

写真:コスモコールルック(1967年)=ピエール・カルダン社提供拡大コスモコールルック(1967年)=ピエール・カルダン社提供

写真:ピエール・カルダンさん 1922年イタリア生まれ。幼児期にフランスに移住。45年、映画「美女と野獣」の衣装を担当。46年、クリスチャン・ディオールに入り、50年に独立。53年にオートクチュール、59年にプレタポルテを手がける=伊ケ崎忍撮影拡大ピエール・カルダンさん 1922年イタリア生まれ。幼児期にフランスに移住。45年、映画「美女と野獣」の衣装を担当。46年、クリスチャン・ディオールに入り、50年に独立。53年にオートクチュール、59年にプレタポルテを手がける=伊ケ崎忍撮影

写真:2011年パリ・コレクション=大原広和氏撮影拡大2011年パリ・コレクション=大原広和氏撮影

 世界中で最も有名なファッションデザイナー。そういわれ続けてきたピエール・カルダン氏が、ブランド設立60周年を迎えた。世代交代の激しいファッション界で、創始者自身がブランドを半世紀以上も展開するのは珍しい。「モードの民主化」を唱え、ファッションを革新し続けた60年とは何だったのか。来日したカルダン氏(88)に聞いた。

■スリッパ・車まで

 カルダン氏といえば、幾何学柄や未来的な素材を用いた宇宙(コスモコール)ルック(1966年発表)が思い浮かぶ。しかし、これほどの高い知名度は、タオルやスリッパなど日用品にまで及んだライセンス製品の広がりによってだろう。

 オートクチュール(高級注文服)の全盛期だった59年、婦人プレタポルテ(既製服)に参入。経営基盤を支えるライセンスビジネスにもいち早く踏み切った。

 60年には、フランス革命以来大きな変化がなかったといわれる紳士服分野にも進出。250人のモデルを起用するショーも開催した。斬新な活動がパリのモード界に衝撃を与え、オートクチュール組合を除名された時期もあった。

■「シンプル・着やすく・買える値段で」

 「モード界から少し距離をおいていた時に、思い立ったのがプレタポルテだった。オートクチュールは一部の金持ちのためだけのものだったが、一般の人たちも新作を着ることで喜びを感じるはずと気づいた。そのためには、シンプルで着やすく、多くの人が買える値段にすることが必要。ファッションの民主化という社会的な意味にも興味があったのです」

 手掛ける分野は車や飛行機、食品などにも広がり、「カルダン帝国」と呼ばれるほどに成長。現在は、世界110カ国で約800のライセンス事業を展開。日本では59年の高島屋との婦人服ライセンスを皮切りに、約30事業で年間約120億円を売り上げる。

 初来日は58年。「月に行くような気持ちだった」という。日本では普及していなかった立体裁断の講義のために1カ月も滞在。来日は50回以上に及んだ。「まず文化や哲学を広めるのが私のやり方。日本での成功例をもとに、中国やロシアにも進出してきた」

 中国など共産圏に進出した先駆けだ。その契機は、実際に見た夢という。全身で40個のボタンが付いた人が現れた。「中国の人口が10億として、ボタンを1個1円で売っても400億円になる。すぐにボタン工場を作りました」

 1人で初めて中国に乗りこんだのは、三十数年前。「大勢の男性幹部らにマオタイ酒でカンペーイ(乾杯)といいまくった」。相手が酔ってきた頃に、パリで中国人だけのショーをやりたいと切り出し、なんとか約束をとりつけた。そんなタフさは今も変わらず、88歳でなお現役。9月のパリ、11月9日には東京でも久しぶりにショーを開いて新作を披露した。

 「私は常に、とりあえず他人と違うことをしようと考えてきた。人の言葉は気にせず、自分の考えで進んできた」

■生活をデザイン

 若い頃は俳優志願だった。18歳の頃はたった120グラムの配給のパンをどう分けて食べるか考えるような貧しい生活。戦争に行き、多くの仲間を失う。戦後はクリスチャン・ディオールに職を得た。以後、服だけではなく、生活にかかわるものすべてをデザインしようという、並はずれた研究心と好奇心で、道を切り開いてきた。

 そんな大御所の目には、「今の若い人たちはすべてそろっているのに、うれしそうじゃない」と映る。一方、「みんな豊かになったが、ファッションビジネスが商業化しすぎて若い人が入る隙(すき)が狭くなった」とも。

 「誰かのまねごとをするような仕事はクリエーションとは言えない。時代の常識にとらわれてはいけない。人生の後輩たちには、雇われても、使われるな。人との出会いを大切に、自分であり続けることと伝えたい」(編集委員・高橋牧子)

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