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ジル・サンダーの意外なはにかみ

2010年5月1日12時41分

写真:授賞式で「あいさつ」するジル・サンダーさん拡大授賞式で「あいさつ」するジル・サンダーさん

写真:FECJ賞の授賞式とパーティーの会場拡大FECJ賞の授賞式とパーティーの会場

 あの「はにかみ」は何だったのだろうか? 27日夜に東京・汐留のホテルで開かれた日本ファッション・エディターズ・クラブのFECJ賞授賞式で、ユニクロの「プラス・ジェイ(+J)」のデザイナーとして今年のデザイナー・オブ・イアーに選ばれたジル・サンダーが、意外なほどの緊張した恥じらいぶりを見せた。まるで初めて賞をもらった新人みたいだったが、彼女ほどの世界的な著名デザイナーとあれば、事情はもっと深いだろうと思わざるを得ない。

 授賞席に呼ばれたジルは、声がマイクを通っていないことにも気付かない様子で、小声であっという間の“スピーチ”を終えてしまい、そそくさと壇上から下りてしまった。司会者によれば、あがってしまってちゃんと話もできません、というようなことだったようだ。去年受賞したグッチのデザイナー、フリーダ・ジャンニーニの理路整然とした長広舌とはあまりにも対照的な光景だった。

 去年立ちあがった「+J」は、ジル・サンダーがデザインした服がかつてのそれとは比較にならないほどの安い値段で買えることで、世に驚きと歓喜を巻き起こした。というのが、授賞の理由だった。事実、ユニクロには距離を置いていたり無関心だったりした層の中からも、+Jには関心を示す人が増えている。ちょっとビミョーだが、ファッションメディアの業界人でも+Jできめた姿をたまに見かけるようにもなった。

 ジル・サンダーといえば、装飾を排して造形の美しさを抑えた色調で表現するミニマリズムの最も純粋な典型ともいわれた。またそのためには、最上質の素材や最高のカッティング、縫製技術をいっさい妥協せずに追求することで、「鉄の女」との異名もうけた。その徹底ぶりが原因で、ブランドを買収したプラダ・グループから2度にわたって追い出されてしまうことになった。だが、いったんカムバックした時に彼女がミラノで見せた、不安ながらも「創造の現場にまた戻れた」とのあふれるような笑顔が今でも心に残っている。

 質の追求とコスト・価格は相反する関係にある。お金の糸目をつけずにできたジルのミニマリズムと、大量生産によるコスト減という本来はとてもアナクロなユニクロのミニマリズムは、その最も極端な組み合わせだろう。だから普通に考えれば+Jはとても長続きするはずないし、もし続いたとすれば、ジルの側から見ればそれは質を追求するファッションのクリエーションの新たなあり方、そしてユニクロ側から見ればカジュアルなリアルクローズの新たな質の獲得という、ファッション全体の大きな潮流の変化の道を指し示すような出来事になるだろう。

 ジルの今回の「はにかみ」には、彼女の変わらぬピュアな人間性だけではなく、その底にはそんな大きな可能性への期待と不安が横たわっていたのではないだろうか。パーティーの席上で聞いてみたら、「困難なことはたくさんあるけれど、より多くの人に私の作品を届けられるこのプロジェクトを長く続けたい。それが私を変えることにもなるから」と語った。

 でも、本当に続くだろうか? ジルのはにかみや戸惑いは、それを見た時のこちら側の意外感や戸惑い、そして+Jを着た業界人を見た時の「ビミョーな」感じとも同じ底でつながっているのかもしれない。

  • 上間常正氏は「朝日新聞社広告局ウェブサイト @ADV」でもコラムを執筆しています。

プロフィール

上間常正

上間 常正(うえま・つねまさ)

1947年東京生まれ。72年東京大学文学部社会学科卒後、朝日新聞社入社。事件や文化などを取材し、88年から学芸部記者としてファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化女子大学客員教授としてメディア論、表象文化論など講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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