2010年9月16日10時18分
厳しかった今年の残暑もそろそろ終わり。長袖の感触が懐かしくなると、秋の本格的なファッションシーズンが始まる。すでにニューヨークでは2011年春夏のコレクション・ウイークが始まっているが、東京では9月11日に青山界隈で開かれた「ファッションズ・ナイト・アウト(FNO)」がその皮切りとなったようで、この夜は遅くまで店や通りがおしゃれな人々でにぎわった。そして、それはある意味ではとても不思議な光景だった。
ナイト・アウトのメイン会場ともいえる表参道ヒルズでは、夕方からこの催しのオープニング・セレモニーが開かれ、FNOのアンバサダーを務める富永愛や土屋アンナのほか人気モデルや女優、ダンサーらが本館吹き抜けの大階段で、ファッションショーやトークイベントなどを披露した。表参道ヒルズはたぶん4年半前のオープン以来の人出だったと思うが、オープンの時の喧騒ぶりとは違って会場はとても静かで、にもかかわらずみんな楽しげに見えた。
表参道や青山通りをはさんだみゆき通り、骨董通りの辺りがこんなにいっせいににぎわったのは、考えてみれば(去年の1回目のFNOの時は別にして)ずいぶん久し振りのことだった。1980年代の終わり頃から90年代の半ばまでは、週末の夜はたいていこれくらいの人出があったものだ。では今回のナイト・アウトのにぎわいがそれに似たフラッシュバックのようなものかといえば、決してそうとは思えないのだ。
今回のにぎわいが以前のそれと違うのは、雰囲気がゆったりとしていてカジュアルなことだろう。80年代から90年代にかけてのにぎわいには、いつも新しいものを求めるような熱気と、早めにそれを買おうとする欲望が渦巻いているような感じだった。その買い物の対象は、自分が本当に欲しいものではなくて、人が欲しがるもの、みんなが欲しがるものだった。
11日の夜に感じたのは、そんな「他者の欲望」を追い求めるような熱気とは無縁の「涼しさ」のような風情だった。みんなが思い思いに装って楽しげに街を歩いて、好きなブティックをのぞいて品定めをしているようだった。それでいて、そのほとんどがセレブでも特別な富裕階級でもないのに、こんなにおしゃれな人たちが東京にはいるのだと改めて驚くほど多かった。こんな都市は世界中のどこにもないだろう。
この催しは、不況で沈みがちなファッション業界を元気づけようと、米ヴォーグ誌のアナ・ウィンター編集長の呼びかけで去年から始まった。世界の主な都市でもほぼいっせいに開催され、去年はその一晩でブティックの売り上げもかなり好成績だったという。そのため今年は参加ブランドやブティックもさらに増えたようだが(東京では約350店舗)、今年の東京の「涼しさ」からすれば、店の売り上げが増えるかどうかは疑問な感じがする。
ニューヨークでは今年は8日に開催された。現地に電話で聞いたところ、コレクション期間中なのにアレキサンダー・ワンがDJをやったり、プロエンザ・スクーラーがカラオケ大会の審査員をやったりなど、人気デザイナーたちも各イベントに参加してマンハッタン中が盛り上がったとのこと。ところが実際に買い物をする人は案外少なくて、早くも来年の開催を危ぶむ声も出ているという。
ニューヨークの事情はともかくとして、東京のナイト・アウトのにぎわいは、一見バブル景気のころの再来のようでいてそれとはかなり違う新しい現象だと思えるので、店の売り上げにあまりこだわらずまた来年も続けてほしいと思う。おしゃれをしてゆっくり街を歩いて、気が向いたら店に入ってシャンパンを飲みながらいい物をじっくり見てみる。そんな楽しみがファッションにとっては基本的に大事なことなのではないだろうか。
11日には銀座でも三越がリニューアルオープンした。店舗面積を広げ、独自の銀座らしいテーストの自主編集売り場が改装のポイントで、こちらも今までとは違う店歩きや買い物の楽しさを提案しているように思える。これがうまくいくかどうかは分からないが、大切なのはやはりいい物をどれだけそろえられるかどうかだろう。
いい物をゆっくりと選ぶ楽しみ。ファッションには本来それが欠かせない。2010年の「9・11」は、不況のもとでそれがかなえられる芽を見せてくれた。ついでだからはっきり言えば、ファストファッションだけではファッションはだめなのだ。
1947年東京生まれ。72年東京大学文学部社会学科卒後、朝日新聞社入社。事件や文化などを取材し、88年から学芸部記者としてファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化女子大学客員教授としてメディア論、表象文化論など講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。