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トム・フォードの映画第1作が示した、危機と再生

2010年9月30日

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写真:「シングルマン」のシーン (c)2009 Fade to Black Productions,Inc.拡大「シングルマン」のシーン (c)2009 Fade to Black Productions,Inc.

写真:「シングルマン」のシーン (c)2009 Fade to Black Productions,Inc.拡大「シングルマン」のシーン (c)2009 Fade to Black Productions,Inc.

写真:「シングルマン」のシーン (c)2009 Fade to Black Productions,Inc.拡大「シングルマン」のシーン (c)2009 Fade to Black Productions,Inc.

写真:映画の演技指導をするトム・フォード監督(c) 2009 Fade to Black Productions,Inc.拡大映画の演技指導をするトム・フォード監督(c) 2009 Fade to Black Productions,Inc.

写真:トム・フォード拡大トム・フォード

 ファッションと映画はずっと、浅くはない関係を築いてきた。しかし、同じ人物がその両方で優れた作品を作ったことはなかった。10月2日から一般公開されるトム・フォード・監督・脚本の「シングルマン(A SINGLE MAN)」は、その最初の記念すべき成功例といってよいだろう。この映画には彼がかつてグッチやイヴ・サンローランの服で見せた張りつめたような美しさがあり、そして同時に、それから時を少し経て苦悩を通じて得た人生への深い思いが込められている。

 トム・フォードはグッチのクリエーティブ・ディレクターを2004年に辞任してすぐ、映画制作会社「フェード・トゥ・ブラック」を設立。何年もかけてクリストファー・イシャウッド作のこの物語を見つけ、また2年近くをかけて自分で脚本を書き上げたという。原作とは違うプロットも加えられていて、特にディテールではトム自身の美意識や生活スタイルへのこだわりを感じさせる部分が多い。

 この映画は、1960年代のロサンゼルスを舞台に、16年間共に暮らした最愛のパートナー(男性)を交通事故で8カ月前に失い、その喪失感から抜け出せない52歳の大学教授の一日を描いたもの。教授は「愛する者がいない人生に意味はあるのか?」と日に日に深くなった悲しみを、自らの命を絶ってこの日で終わりにしようと決めている。しかし、これが人生最後の日として眺める世界は、その一つひとつが前とは違って見えてくる。

 いつもは鬱陶(うっとう)しかった隣の少女との出がけの会話にささやかな喜びを感じ、大学での英文学の講義でいつになく自分の思いを熱く語ってしまう。刺激された男子学生が話しかけてくる。かつて恋人だった女友達を訪ねると、身勝手で孤独な彼女の話に振り回されながらも深く慰(なぐさ)められる。そして最後の夜、彼の決意を見抜いて訪ねてきた昼間の男子学生が、過去にすがって生きていた彼の心を激しく揺さぶった。

 パートナーとの回想シーンも美しく描かれている。教授の原作にはない本を読むシーンは、トムが最近のインタビューで語っていた「日常の中でのささやかな喜びが本当に大切なことに気付いた。たとえば、パートナーとベッドで背中合わせになって本を読んだり、イヌと戯(たわむ)れたり……」との言葉を思い起こさせた。この映画は、中年または初老にさしかかって自分の人生への深刻な疑問に悩む人間の再生に向けた物語でもある。

 きちんと計算した構成と手の込んだディテール、主人公の気持ちを表現するように無彩色からだんだん明るい色調に変化していく色使い。そして、自分にとって本当に大切なものを見つめて今この日を生きること。トムがこの映画で表現したことは、彼がいま、「トム・フォード」のブランドで目指している服作りときっと同じなのだろう。

 彼がグッチ辞任の意向を示して、その最後のショーとなった2004年3月のパリでのイヴ・サンローランの舞台で見せた表情を今でも思い出す。それは力を尽くしてきた過去への決別の苦渋の思いと、開放への安堵を同時ににじませた複雑なものだった。辞任の理由についてはさまざまな憶測も流れ、「ブランドとデザイナーはどちらが大事なのか」との論争なども起きた。しかし今思うと、彼の辞任は、ラグジュアリーブランドが企業としてグローバルに成長することとファッションのクリエーションが幸福に結びついていた時代が終わり始めたことへの彼なりの敏感な判断だったのではないかという気がする。

 この9月に開かれた2011年春夏ニューヨーク・コレクションで、「トム・フォード」のレディースのショーが初めて開かれた。ショップにごく少人数を招いて、写真撮影もブログ発信も禁止というクローズドぶりで、一部では不評も買ったようだ。しかし「小規模でも自分が本当に作りたい上質な服を作って、それを理解してくれる客に着てもらえばいい」というトムの今の姿勢は、これからのラグジュアリーブランドのあり方に大きな示唆となるだろう。

 ところで、映画の結末は?と気になると思うが、それは見てのお楽しみに、ということにしておこう。

  • 上間常正氏は「朝日新聞社広告局ウェブサイト @ADV」でもコラムを執筆しています。

プロフィール

上間常正

上間 常正(うえま・つねまさ)

1947年東京生まれ。72年東京大学文学部社会学科卒後、朝日新聞社入社。事件や文化などを取材し、88年から学芸部記者としてファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化女子大学客員教授としてメディア論、表象文化論など講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。

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