2010年11月18日
なにかと沈みがちな気分の世の中に、ファッションを通して何かメッセージを伝えたい、今までとは違うやり方で新作を発表してみたい。パリやミラノ、東京などで先月までに開かれた2011年春夏コレクションでは、久し振りにそんな新しい動きが目についた。JFW・東京コレクションの期間中に、公式の東コレとは別の場で開かれたいくつかの展示会やゲリラショーもそうした動きの一つだった。
東京・神宮前のビルでは、「td〔i〕」(ティディーアイ)というグループが3日間の合同展示会を開催した。企業などのバックをうけずに独立して活動している9組のデザイナーが集まり、展示会の場を自分たちで作り、協力して「発信」していこう、との試みだという。グループといっても特別な活動方針やメンバーへの縛りはなくて、緩やかな関係の中でお互いに刺激し合うことが狙いのようだ。
メンバーは新進ばかりではない。「ゼチア」のLICA(リカ、阿世知里香)とNAKA(ナカ、中川正博)は、90年代に東京では最も注目されたブランド「20471120」のデザイナーだった。「レスザン」の安藤大春は98年に「ドッペルゲンガー」を立ち上げて東コレにデビュー、05年にブランド名を改め、海外でも多くの展示会を開いてきた。「シダ タツヤ」の信太達哉も06年から東コレの常連だった。
その一方、高校生の時から趣味で服を作り始め、一人でブランド「オオタ」を06年に設立した太田雅貴や、04年に文化ファッションビジネススクールを出て東京のストリートをベースにデザインを続ける「べスリール」の茅野誉之、06年にデザインユニット「エフィレボル」を結成し“愛”をテーマの作品作りに励む太田安介、飛世拓哉、阿久津誠治の3人組といった若手もいる。
呼びかけ役だったレスザンの安藤は「経験や年齢も、個性も違うけれど、どこか気心が通じ合うメンバーが集まった。最近は元気のないモード界で、何かをやろうよ、ということで」と語る。定期的に会合を重ねた結果、各自の作品を組み合わせたインスタレーションも兼ねた合同展示会を開くことになったという。また、神宮外苑でゲリラショーを敢行して、それをビデオ映像の作品にも仕立てた。
「オオタ」の太田は「一人で考えているよりも色んな発想が出てくるし、合同でやれば経費も安くなる。学校を出たばかりのデザイナーでも、こんな形なら作品発表がしやすくなると思う」と説明する。新人にはこれからもなるべく声をかけていきたいという。不況やファッション産業システムの管理化が進み、最近はデザイナーのデビューが困難になって志望者も減っているというが、このグループ結成のやり方は状況打開のための一つのヒントになるだろう。
もう一つは、服だけではなくジュエリーや人形などのデザイナーらと縫製工場、テキスタイル工場などが作品作りで協力し合う、という新しいタイプの、札幌を本拠とするグループ「リバース」。今年4月に設立され、今回は各デザイナーの新作を、東コレと同時期に開催される合同展示会「アンビアンス」の場で発表した。
このグループで「Nocturne #22 In C Sharp Minor,Op.Posth.」(夜想曲第22番嬰ハ短調遺作)という長い名のブランドをデザインする鈴木道子は、ヨウジヤマモトの「ワイズ レッドレーベル」のデザインを担当していた。「今回はまさに再生のスタートですが、ワイズの時より自由な発想で臨めた。他の分野のクリエーターや服の作り手が一緒にいることも新鮮な刺激で、服も作りやすかった」という。
この二つのグループが発表した作品はそれぞれ個性的で、統一した作風はない。しかし共通して感じられるのは、どれもどこか伸びやかで作者の主張がうかがえることだった。その意味では、JFWによる公式の東京コレクションがどこか管理化された感じが強まって、個々のショーのインパクトが薄れがちになってきたのと対照的な印象を受けた。
政府や国内の大手アパレル業界などが支援する形となったJFWによって、東コレは以前より組織化されある種の勢いが出てきたこと。そのことは評価するべきだと思うが、時代の激動期に向けた新しい動きというのはいつも中心からは外れた周縁の方から生まれてくるものなのだ。この二つのグループの動向は来シーズンも注目したいし、同じような動きは今後も増えてくるのではないかと思う。
1947年東京生まれ。72年東京大学文学部社会学科卒後、朝日新聞社入社。事件や文化などを取材し、88年から学芸部記者としてファッションを主に担当し、海外のコレクションなどを取材。07年から文化女子大学客員教授としてメディア論、表象文化論など講義。ジャーナリストとしての活動も続けている。