最新情報・トップ 朝日新聞デジタルへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

フェニーチェ歌劇場とヴェルディ

ヴェネツィアで開花したオペラーフェニーチェ歌劇場誕生前夜

 17世紀直前、フィレンツェの貴族のサロンで誕生したオペラは、まもなくイタリア各地で作曲されるようになりました。特に、東方貿易で富を蓄えた貴族や市民たちが力を持ち、イタリアきっての強力な共和国として独自の文化を誇っていたヴェネツィアでは、貴族が私的な劇場を市民に開放しました。世界最初のオペラ劇場、サン・カッシアーノ劇場です。このおかげで、一般市民もチケットを買ってオペラを楽しむことが出来るようになったのです。
サン・マルコ大聖堂の楽長モンテヴェルディ(1567-1643)は、「ウリッセの帰還」「ポッペーアの戴冠」(1642年)など劇的な表現をもつオペラを次々に発表しました。貴族たちは次々に新しい劇場建設に力を注ぎ、桟敷席の予約金とチケット販売によって興行師が劇場を運営。豪華な舞台装置や機械仕掛けも評判をよび、ヴェネツィアでは17世紀末まで少なくとも17の劇場で388本ものオペラが上演されたといいます。

不死鳥・フェニーチェ歌劇場の誕生と二度の火災

写真

 ヴェネツィアで最も大きく、重要なオペラ劇場を作ろうと建てられたのが、フェニーチェ歌劇場です。1792年5月16日にパイジェッロ「アグリジェントの競技会」を上演してオープンしました。

 1836年12月、最初の火災に見舞われ劇場は焼失しましたが、翌年12月26日には美しい内装をほどこして劇場を再開。自らを焼いて灰の中からよみがえるという伝説の鳥「フェニーチェ(不死鳥)」が、劇場正面玄関に飾られました。

 1996年1月、フェニーチェ歌劇場は2度目の火災に見舞われ、世界で最も美しい内装とたたえられた歴史的建造物を焼き尽くす大惨事となりました。ヴェネツィア市は直ちに近くの島に仮設テント劇場を建てて上演活動を再開しました。再建工事に約8年を費やし、2003年12月14日に杮落しコンサートで完全復活。澄み切った空色の天井も、華麗な内部装飾も甦りました。当日は、美しく着飾った紳士淑女はもちろん、会場周辺の警備にあたった警察官や劇場案内係らも19世紀の衣装に身を包み、さながらフェニーチェ歌劇場が誕生したころの時代絵巻の趣。サン・マルコ広場には巨大スクリーンが設置され、街の人々もコンサートの模様を楽しみました。

フェニーチェ歌劇場とヴェルディ

 長い歴史の中で、フェニーチェ歌劇場は積極的に新しいオペラを次々に上演。オペラ史に残る多くの名作がこの劇場から誕生しました。ロッシーニ「タンクレディ」(1813年)、「セミラーミデ」(1823年)、ベッリーニ「カプレーティ家とモンテッキ家」(1830年)、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」(1833年)、ドニゼッティ「ベリザーリオ」(1836年)、レオンカヴァッロ「ラ・ボエーム」(1897)など名イタリア・オペラの数々が初演されています。 なかでもヴェルディは「エルナーニ」(1844年)、「アッティラ」(1846年)、「リゴレット」(1851年)、「椿姫」(1853年)、「シモン・ボッカネグラ」(1857年)と、現代でも人気の高い5作品をフェニーチェで初演しています。今回来日公演する「オテロ」は、1887年2月にミラノ・スカラ座で初演された後、同年5月にフェニーチェ歌劇場では初めて上演され、人気を博しました。

 フェニーチェも現代にいたり、それまで顧みられなかったイタリア・オペラの数々の復活上演を果たすなか、ヴェルディの「海賊」「スティッフェリオ」といった、隠れた良作を発掘しています。フェニーチェ歌劇場とヴェルディは、昔も今も浅からぬ縁で結ばれているのです。

このページのTOPへ