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コラム「神の雫」作者のノムリエ日記

ムッシュ・スドウの究極のワイン会

2007年06月07日

 携帯電話が鳴るや、液晶ディスプレーに「336604……」と、奇妙な数字が並ぶ。“0”から始まらないこの数字配列は、国際電話だ。ひょっとして、と思いながら出ると「ハ〜イ亜樹さん。飲んでますか〜?」と、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

写真(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第10巻(週刊モーニング連載中)

 電話の主は、ムッシュ・スドウ。以前この欄で紹介した、フランス在住のワイン・ジャーナリストである。藤子不二雄Aの『笑うせぇるすまん』にチョイ似のこの御仁、志を抱いて日本からフランスに渡ったが「シャトー・モンローズ」72年を飲んで「目からウロコが落ち」、人生をギアチェンジ。以来、ワインとともに生きるようになったという。我々姉弟がDRC「エシェゾー」を飲んで衝撃を受け、『神の雫』を描くようになったいきさつに、何やら近いものがあり、そういう意味でも我々は彼には親近感を抱いている。さてそのムッシュ、国際電話の用件は?

 「僕、来月日本に一時帰国するんですよォ。またワイン会やります。参加しますぅ?」 参加します、と即答した。なにしろこの人が主催するワイン会は、そこらの会とは「格」が違う。出てくるワインはすべてフランスから空輸されたもので、コレクターから買いつけた古酒など、希少品ばかり。おまけに単に飲むだけではなく、すべてのワインはブラインド(目隠し)で出され、参加者はその銘柄を言い当てなくてはならない。

 参加者もハンパじゃない。東京の会なのに東北や関西から、新幹線で来る人もいる。しかも「マイ・グラス」持参で、だ。彼らは磨き込んだマイ・グラスを、あたかもサムライが刀を抜くが如く静かにテーブルに置き、注がれるワインに目と鼻と舌の感覚を集中させ、ブラインド勝負に挑むのである。ところがそんなサムライたちも、ムッシュのワインの銘柄を簡単には当てられない。かくいう私も、この時ばかりは完全正答できない。

 なぜなら、まず第一にワインの「若さ」が違う。フランスのカーヴで動かされずに熟成されたワインは、古酒でも酒質が非常に若い。だから戦前のワインを飲んでも「70年代かも?」と思わせる若々しさがあり、それについ幻惑されてしまうのである。

 さてこの日も、目隠しされたワインを当てるのは至難の業だった。ローヌの白とブルゴーニュの白(どちらも古酒)の違いがなかなかわからない。若いうちは、前者は桃のシロップのような香りがあって肉厚だが、後者は洋梨、白い花のような香りで、硬質な酸味とミネラルが特徴的である。つまり本来は全然個性の違うワインなのだが、この二つの古酒は実によく似たワインに変わっていた。結局ほんの小さな違いが識別できず、また誤答。「半世紀寝ていると似た顔になるのも、ワインの神秘のひとつ。亜樹さん、もっと勉強しないとね」とムッシュは楽しそうに笑った。

 ムッシュ曰(いわ)く、ワインは長い間寝かせておくと、ピノ・ノワールもシラーも角がとれて丸くなり、似たような味わいになってしまう。百年もたつと、本当に同じ顔になってしまうのだそうだ。実に不思議なことである。

 ムッシュ・スドウと知り合えたことは、ボルドー取材の収穫のひとつだった。彼が提供する難解な謎解きを楽しみながら、ワインの神秘の世界をさらに追求することは、今や私の人生の楽しみのひとつともなっている。

■今回のコラムに登場したワイン

  • シャトー・モンローズ 
  • DRCエシェゾー 

プロフィール

亜樹直(Agi Tadashi)
講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

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