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コラム「神の雫」作者のノムリエ日記

“神様の後継者”との衝撃的出会い(後編)

2007年08月09日

 エマニュエル・ルジェが試飲させてくれた05年のワインはいずれも素晴らしい完成度であった。「02年も確かに良い年だったが、05年はそれをはるかにしのぐ素晴らしい年だった。だから、どのワインもうまいよ」とルジェは言う。その言葉の通り、村名ワイン「ヴォーヌ・ロマネ」を飲んだあたりから、我々はあまりのうまさに、試飲ワインを冷静に吐きだせなくなってきた。ルジェに「あまりのうまさについ飲んでしまいますよ」と言うと、強面(こわもて)のルジェが破顔一笑した。うれしそうな、子どものように無垢(むく)な笑顔。その顔をみて、私たちもなんだかすごくうれしくなった。

イラスト(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第2巻(週刊モーニング連載中)

 ヴォーヌ・ロマネの次に試飲させてもらったのは一級畑「レ・ボーモン」。村名ワインと違って、輪郭が明確で力強い。しかし優雅で、繊細であることに変わりはない。ルジェのワインは、どのような強靱(きょうじん)な個性をもつ畑においても、エレガントさと柔和な口当たり、そして洗練された上品さを欠くことがない。それはまさに彼の叔父であり師匠でもある故アンリ・ジャイエの個性でもあるのだ。

 さてボーモンに続いて、ルジェの旗艦ワインのひとつ、特級畑の「エシェゾー」が出された。いやはや、このエシェゾーのすごかったこと。実はこのエシェゾーを口にした瞬間、あまりの衝撃に、それまで試飲したワインの印象が一瞬で消えてしまった。鼻孔をくすぐる数種類の紅(あか)い花のアロマ、かれんな少女の長い髪のような優雅さ、しなやかさ。そして美しい竪琴の音のように、いつまでも続く甘い余韻。このように完璧(かんぺき)なブルゴーニュ・ワインを、一生のうちに何度口にすることができるだろう。ブルゴーニュの神様とあがめられたアンリ・ジャイエの目指した「いま飲んでおいしく、長熟してもおいしい」ワインの姿が、間違いなくここにあった。

 エシェゾーの後に、ジャイエから受け継いだ一級畑「クロ・パラントゥー」も試飲した。同行してくれた仲田さんは、「僕もこのワインを試飲するのは初めてです」と感激していた。味わいはエシェゾーに比べると優雅ではあるが長熟型で筋肉質であり、本領を発揮するまでに10年以上はかかると感じた。幻ともいわれ、ルジェのワインの中では一番高い値段で流通するクロ・パラントゥーだが、私はその前に飲んだエシェゾーの味わいが、これを上回るほどに感動的であった。

 ルジェは2000年ごろに体調を崩したといわれ、ジャイエがルジェの代わりにワインを造っていたという噂(うわさ)があった。ブルゴーニュに住む仲田さんも、そんな噂を聞いたことがあるという。これについてルジェは笑いながらこうコメントした。「面白いね。実はあの頃、叔父は高齢で体調を崩していて、私が彼のワイン造りを手伝っていたんだよ」

 世間の憶測では、ルジェは神様ジャイエの後継ぎという重圧に苦しむあまり、体調を崩したといわれていた。しかし、長年の農作によって土と葡萄(ブドウ)の汁がしみ込んで変色し、皮が甲羅のように固くなった彼の大きな手と握手したとき、それは我々の浅はかな思い込みなのだと確信を持った。「神様」の方を向いてではなく、大地と葡萄と向き合い、黙々とワインを造り続けてきた男の手。生涯いち農民であることを誇りにしてきたというアンリ・ジャイエも、きっとこんな風に、ゴツゴツとした黒い岩のような手をしていたに違いない。

■今回のコラムに登場したワイン

  • エマニュエル・ルジェ ヴォーヌ・ロマネ レ・ボーモン 
  • エマニュエル・ルジェ エシェゾー 
  • エマニュエル・ルジェ クロ・パラントゥー 

プロフィール

亜樹直(Agi Tadashi)
講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

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