現在位置:asahi.com>食と料理>コラム>「神の雫」作者のノムリエ日記> 記事

コラム「神の雫」作者のノムリエ日記

ワインも基礎体力が大事

2007年12月06日

 先日「神の雫」の打ち合わせをしていた時のことだ。例によって「ワインでも飲むか」ということになったのだが、なぜかこの日、弟は秘蔵のCHレオヴィル・ラス・カーズ71年を、「もう、これも飲んじゃおうか」と仕事部屋の小型冷蔵庫から持ち出してきた。

写真

(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第12巻(週刊モーニング連載中)

 確か少し前までは「このワインは高かったんだ」などと言って出し惜しみしていたはずなのに、変である。「いいけど、なんでラスカーズ?なんか隠してない?」と問い詰めると、「ハッハッ、やっぱりバレちゃった?」と、弟は腹筋に力の入ってない元気のない笑い声で、その“事件”のことを話し始めた。

 じつは弟が愛用している仕事部屋の小型冷蔵庫、ボタン操作で温度を高くも低くもできるという温冷庫である。普段はワイン用に16度に設定してあるわけだが、このボタンを彼の末っ子がイタズラして、55度に設定してしまった。弟はそれに気づかず、数時間、高温のまま放置してしまったらしい。異変に気づいて温冷庫を開けたときは、6本ほど入っていたワインの瓶はホカホカの熱燗状態になっており、悲惨なことにすべての瓶からワインが吹きこぼれていたという。

 当然ながら、ワインは高温で劣化する。弟はとっさに全員死亡を覚悟したが、様子を見るつもりで、そのうちの1本、ジャック・カシュー『エシェゾー』05年を恐る恐る開けてみたという。「でもこれは劣化していなかった。ワインは数時間の高温化なら耐えられるのかもしれないぞ」と弟。しかしそれは05年という若いワインで、体力があったからかもしれない。そこで今度は、古酒である71年のラスカーズが無事なのかどうか確かめてみよう、と思い立ったわけだ。

 さてこのラスカーズ、結論から言うと私は「劣化している」と感じた。色は完全にレンガ色ではないのに、味は完全にピークをすぎており、微妙にバランスを壊している。71年のボルドーは良作年のはずだが、このワインにはもう若さがなく、覇気のないお爺さんみたいになっていた。

「となると、これも劣化してるかもな」と弟は悲しそうに、温冷庫にあったもう1本の古酒、ドメーヌ・シャブーレ・ヴェルシェール『エシェゾー』75年を取り出した。これは在仏のワインジャーナリスト、ムッシュ須藤から弟が買いつけた正真正銘の貴重品だ。

 ところが……開けてみてビックリ、二人で顔を見合わせてしまった。このエシェゾーは劣化どころか若々しくみずみずしく、活力溢れるワインだった。ビター・チョコの香り、赤い果実のジャムのような濃厚さ。女性的だがキリッとしてて、引き締まったバディを持つ、美しきアスリートのような印象だった。

 同じ70年代でなぜこんなに差が出るのか、我々は首をひねった。どちらも一流生産者のワインでありながら、かたや55度の熱に耐え、かたや急速に年をとり……。いろいろと原因を考えたあげく、こう結論付けた。ラスカーズはリリースから30年間、世界中の代理店を点々としてきて疲弊しているが、エシェゾーはフランスの収集家から買いつけたものをエアーで直送してきたので、旅の疲れを知らない。30余年分のその疲れの差が、悪環境を耐え抜くかどうかの差を生んだのだと。

 可愛い子には旅をさせろというが、ワインはやはりできるだけ旅をさせず、基礎体力を残しておくべきだ。基礎体力のない人間が、流行り病に襲われると生死の瀬戸際に追い込まれるのと同じように、セラーの故障など不測の事態を、体力のないワインは容易に乗り越えることができないのである。

■今回のコラムに登場したワイン

  • CHレオヴィル・ラス・カーズ71年
  • ジャック・カシュー『エシェゾー』05年

プロフィール

亜樹直(Agi Tadashi)
講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

この記事の関連情報

このページのトップに戻る