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悲劇のシャンパーニュ、ドンペリ

2008年3月8日

  • 筆者・亜樹 直

マンガ

(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第13巻(週刊モーニング連載中)

 まったく、これほど高い品質を誇りながら、これほど不当な扱いを受けているワインも珍しい。世界のセレブ御用達のシャンパーニュ、『ドンペリニョン』のことである。

 このワインは「ドンペリ」と省略されて呼ばれており、バブル絶頂期には、銀座のバーでポンポン栓を抜かれ、一気に大衆化してしまった。こうした現象は、生産元のモエ・エ・シャンドン社が高まる需要に応じて生産量を増やしたことも影響している。一昔前は品薄だったが、この増産以来ドンペリは町中に溢れ、スーパーでも安売り酒屋でも買える酒になってしまったのだった。

 さらに不幸なことには、バブル時代に名を馳せたために、ドンペリは“ホストクラブ御用達”シャンパーニュともなってしまった。夜の世界を描くテレビドラマや漫画などでは、ホストがお客から注文をとって「ドンペリ入りましたぁ〜」と叫びながら、景気よく栓を抜くシーンが必ず登場する。ちなみにホストクラブでは、ドンペリのロゼを「ピンドン」などと呼んで、1本10万円以上の値段で出しているらしい。生産量も少なく、宝石のように貴重なこのロゼを、そのような軽薄な名で呼んでいること自体、驚きであるが……。

 こういった事情もあって、シャンパーニュ愛好家でもドンペリを敬遠する人は少なくないという。現に私も、ドンペリには根拠のない偏見を持っていたような気がする。

 ところが昨年、ワイン・ジャーナリストのムッシュ須藤がパリで開催したワイン会でこのドンペリの78年を飲み、つまらない偏見がふっ飛んだ。いや、この古酒の素晴らしかったこと。30年を経過しながら泡もきれいに残り、複雑で気品ある味わいだった。ムッシュは感動している私をみてニヤリと笑いながら、「ねっ、いいでしょ?さすがはドンペリなんですよ。ドンペリと聞いてホストクラブを連想する人なんて、フランスにはいないんだから」と言った。

 ドンペリニョンというのは、もともとは16世紀のヴェネディクト派の修道士の名前で、ワインが瓶のなかで再発酵し、泡ができているのを見つけ、シャンパーニュを考案した人物といわれている。それまでにもシャンパーニュというワインはあったが、これは地名を冠した非発泡性のスティル・ワインだった。つまり、ペリニョン修道士がこの偉大なる発見をしなければ、F1の表彰台ではシャンパーニュの代わりにサイダーの泡を飛ばしていたかもしれないのである。

 その後、このペリニョン修道士の棲み家だった修道院跡地を、世界最大のシャンパン・メーカー、モエ・エ・シャンドン社が買い取り、そこに自社工場を作った。ドンペリは、そのモエ社所有の特級畑の中でも最も樹齢が高く、最も日当りのいい一角で採れた素晴らしい葡萄で作られている。

 さて78年モノを飲んで以来、すっかりドンペリが好きになってしまった私は、この正月、ブルゴーニュの偉大な生産年である99年のビンテージものを買って飲んだ。もちろんまだ若いが、端正な泡といい気品溢れる酒質といい、酸と果実味の見事なバランスといい、うっとりするほどの極上ワインであった。

 そして最近私は、「ドンペリ」という略称でなく、このワインを「ドンペリニョン」と呼ぶようになった。バブルの狂乱に付き合わされ、ホストクラブの必須アイテムにされてしまった悲劇のワイン、ドンペリ。しかしこれは本当は軽々しい略称など似合わぬ、伝統に支えられた一流のシャンパーニュなのである。

■今回のコラムに登場したワイン

  • ドンペリニョン

プロフィール

亜樹直(あぎ・ただし)

講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

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