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ワインの難しさを熟知したサービスの達人

2008年7月14日

  • 筆者・亜樹 直

イラスト

(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第15巻(週刊モーニング連載中)

 先週のことである。某出版社の編集者2人と、ワインをBYO(持ち込み)して、うまい飯でも食べながら打ち合わせを、という話になった。

 「店は探します」という編集者の申し出を断って、私は『神の雫』の取材にも協力してもらっている神楽坂の「ポワソン」というシーフード・レストランに予約を入れた。ここはガラス張りのおしゃれな店で料理も美味しいが、私がここを気に入っている最大の理由は、オーナーのTさんのワインに対する造詣の深さだ。ブルゴーニュを放浪していた時期もあるTさんは、ワインの銘柄、畑、生産年などから「このワインはまだ固い」とか「今は寝ている時期だ」といったことを正確に判断できる希有な人。ブルゴーニュのように畑の種類が多く、生産者の質もバラツキがある地域のワインは判断が難しいが、Tさんはどんな場合でも常に、ワインをベストの状態に調整してサーブしてくれる。

 さて今回はシャンパーニュを1本と、ジャック・フレデリック・ミュニエの手になるシャンボール・ミュジニィ村の特級畑「ボンヌ・マール」01年を事前に届けておいた。01年の特級畑は硬いかな?という思いがちらりと頭をよぎったが、シャンボール・ミュジニィ村のワインは基本的には静謐でエレガントなので、まぁ飲めるだろうと思っていた。ただ、忙しくて宅配便を出すのが遅くなり、予約した日の前日着になってしまったため、澱が混濁した状態になっているかもしれず、それが心配だった。すると、私の思いを察知したようにTさんから「ワインが届きました」と電話がかかってきた。「このボンヌ・マールは相当硬いはずです。2時間前に抜栓しておきますね」とTさんは言う。えっ、2時間?リリースしたての渋柿のようなボルドーワインを飲むわけでもないのに、ミュニエのボンヌ・マールはそんなにも硬いのか、と驚いた。

 さて、打ち合わせの当日。Tさんは私が店に着くなり駆け寄ってきて「2時間前に抜栓しましたが、開きそうもなかったので、デキャンタージュもしておきました」と言う。ええっ?2時間たっても開かないなんて、天の岩戸じゃあるまいし。柔和さが身上のブルゴーニュ・ワインも、ヘソを曲げて岩屋の中に閉じこもることがあるのだろうか……。

 Tさんがあの手この手で開かせてくれたこのボンヌ・マール、さすがに柔らかく飲みやすくなっていたが、中心部に苦くて硬い芯のようなものがかたくなに残っていて、エクセレントとは言い難かった。この芯は、何度デキャンタしても消えることはないだろう。ミュニエのワインは独特の濃さがあり、強靱だが、しなやかな造りである。でもこのボンヌ・マール01年は、果実味や香りに対してタンニンが勝ちすぎていて、バランスが良くない。恐らく、長熟させてもグレートなワインにはならないだろう。もしかしたらギリギリに届けたため、澱がワインに溶け込んで苦くなってしまったのかもしれないが……。いずれにしても、Tさんが無理やり開かせてくれなければ、苦くて飲めたものではなかった。

 私はTさんの慧眼に驚くとともに、心から感謝した。ワインは時としてこのように気難しく、栓を抜いてビックリ、ということもある。うまいワインを美味しく飲むのに手間はいらないが、気難しいワインを美味しく飲むには、ワインを熟知した人の「ボトルを見ればピタリとわかる」先読みのテクがやっぱり必要だな、とつくづく感じた一夜であった。

■今回のコラムに登場したワイン

  • ジャック・フレデリック・ミュニエ「ボンヌ・マール」

プロフィール

亜樹直(あぎ・ただし)

講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

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