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400年越しの無農薬栽培が生んだ“奇跡のワイン”

2008年12月16日

  • 筆者・亜樹 直

漫画

(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第11巻(週刊モーニング連載中)

 久しぶりに本を読んで涙が出た。悲しい話ではないのだが、主人公の壮絶な生きざまに心を揺さぶられたのだ。『奇跡のリンゴ』という本で、リンゴ農家の木村秋則さんが、リンゴの無農薬栽培に悪戦苦闘しつつ取り組む話である。

「無農薬の果物は珍しくもなかろう」と思う人もいるだろうが、さにあらず。品種改良を重ね、農薬と肥料で守られることに慣れてしまった“現代リンゴ”の無農薬栽培は、不可能に近いといわれるほど困難なものなのだ。現に、無農薬栽培に取り組んでまもなく、木村さんのリンゴは病気と害虫によって花も咲かなくなり、その後はずっと収穫ゼロの年が続く。一家は窮乏を極めたが、木村さんは屈しなかった。その日の食事にも困る生活の中、粘り強く試行錯誤を重ね、ある偶然から土を「自然に返す」方法を発見し、10年がかりでついに夢の完全無農薬栽培を実現する。

「奇跡のリンゴ」と呼ばれるそのリンゴは、極上の味わいの奥に命の息吹が感じられるという。そして今や収穫後即完売になってしまうこの幻のリンゴ、果実だけを見ればほかとそう変わりはないが、根が違う。なんと地下20メートルまで、太く根っこが張っているのだ。台風が来ても実が落ちないほど丈夫な枝、害虫や流行り病にも負けない生命力は、この深く張った根っこに由来する。木村さんが肥料を与えなかった結果、根は栄養分を求めて、自力でどんどん伸びていったのである。葡萄の木も、貧しい土壌のほうが栄養分を求めて根が深く伸びていくので、良い実が採れる。リンゴとよく似ていると思う。

 さて、まさにこの本を読み終わった頃、フランスから「シャトー・ル・ピュイ」という生産者のオーナー、モロー夫妻が来日し、我々姉弟と会食する運びになった。ル・ピュイというワイン、私は昔一度だけ試飲したことがあったが、味は記憶に残っていなかった。だからモロー夫妻にル・ピュイのバックビンテージをごちそうになった時には、「こんなにすごいワインだったのか!」と驚愕した。コート・ド・フランという庶民向けワインの産地にもかかわらず、ル・ピュイは水晶のように純粋で柔和な果実味があり、豊かな腐葉土の香りがする。とくに素晴らしかったのは、猛暑でワインが軒並み干し葡萄になり、甘くて濃いワインばかりになってしまった03年ビンテージ。ル・ピュイの03年は甘くも濃くもなく、エレガントで、凪いだ海のように優しく、飲んでいて本当に気持ちよかった。

 ル・ピュイのワインが良い年も悪い年も変わらぬ味わいを保っているのは「葡萄の根が地下70メートルにまで伸びていて、そこから栄養分を採っているため」とモロー夫妻は言う。実は、このシャトーの畑、なんと400年以上も農薬を使っていない筋金入りの“天然有機畑”なのだ。地上で大雨が降ろうと40度を超える暑さが続こうと、地中奥深く伸びた根が、葡萄をしっかりと育ててくれるのである。この話を聞いて、私は「木村さんのリンゴとまったく同じだ」と、深く感じ入った。

 ル・ピュイのワインは、キュベによっては酸化防止剤も使用していないので、扱いを間違えると劣化の危険がある。だから一般の酒屋にはほとんど卸していないそうだが、私はネットサーフィンをしまくり、どうにか2本ほど手に入れた。果物もワインもそして人間さえも、合理化の結果として脆弱になった現代社会。そうしたなかで、自然の力強さを思い起こさせてくれるこの「奇跡のワイン」を、一年の締めくくりにもう一度味わってみたいと思っている。

(※シャトー・ル・ピュイはシャトー・デュ・ピュイというラベルで出回っていることがありますが、中身は同じル・ピュイです。モロー夫妻の先代の時にラベルを間違って印刷されてしまい、それが現在でも流通しているからだそうです。面白いですね)

■今回のコラムに登場したワイン

  • シャトー・ル・ピュイ
  • プロフィール

    亜樹直(あぎ・ただし)

    講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

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