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“伝統”を否定した男の作る素晴らしきワイン

2009年3月24日

  • 筆者・亜樹 直

イラスト

(C)亜樹直 オキモト・シュウ/講談社「神の雫」第1巻(週刊モーニング連載中)

 「漢字源」によれば、世襲の「襲う」という文字には、従来の方法や地位をそのまま引き継ぐという意味があるらしい。その言葉の通り、ご先祖様の残した地盤や遺産を、改革の精神もなく「そのまま」受け継いでいく2代目3代目のいかに多いことか。

 だから先日、来日した『M.シャプティエ』の7代目当主、ミシェル・シャプティエに会って話を聞いたときは、「変わった跡継ぎもいるもんだ」と驚いた。1808年創業のこの伝統的ワイナリーを父親から引き継いだ時、ミシェルはまず親世代のワイン作りに対して疑問を持つことから始めたという。なんと、先代に口を出させず、自由な立場で仕事をするために、相続はせず、わざわざワイナリーを買い取ったというから驚きである。こうして89年、晴れて当主となったミシェルはまず、究極の有機農法といわれる「バイオ・ダイナミック農法」に取り組む。

 ミシェルが有機農法を始めた理由は実に明快だ。19世紀に普及した化学肥料は農業の効率化を進め生産性を高めたが、葡萄だけでなく菌類の発育も促すため、有害な菌が畑にはびこり、それ以前には存在しなかった病気が蔓延しだした。やがてこれを殺すために大量の農薬が撒かれるようになり、土の中にあった有用微生物が根絶やしにされる。葡萄にとって重要なミネラル分となるこれらの微生物が死に絶えると、葡萄の木は栄養不足に陥り、より多くの化学肥料を必要とするようになる。しかし、化学肥料は土の浅い部分に集中するため、葡萄の根は栄養を求めて横に広がり、土の深い部分に降りていかなくなる。

「土壌の個性とは、土の表面ではなく数十メートル下の鉱物質の部分に存在する」と、ミシェルはいう。つまり、地下深くにある土壌の栄養分や微生物こそが、ワインに複雑さやミネラル分を与えてくれるのだ。根が横に広がった葡萄からは薄っぺらな味のワインしか生まれないのである。

 先代の畑を20年にわたってバイオ・ダイナミックで改良し続けた結果、シャプティエの葡萄の根は「今や地下百メートルにまで伸びている」という。シャプティエのワインを飲むと、きめ細かい味わいと強烈なミネラル、そして飛び抜けて長い余韻が確かに感じられる。地下百メートルの微生物がうごめく世界で醸しだされる、小宇宙のような複雑さである。

 ミシェルが行った改革は、土壌だけではない。親の代まで使っていた古い栗の木の大樽をすべてオークの小樽に変え、発酵には培養酵母は一切使わず、野生酵母のみを使う。「醸し」といわれる葡萄の果皮と種を果汁に漬け込む工程も、通常は1週間程度だが、ミシェルは4週間以上も行う。これも科学的根拠があってのことだそうで、荒いタンニン(渋味)を取り去り、上品な細かいタンニンだけを残すための手段だそうだ。

 さてミシェルは今、葡萄を受粉させ、種からワインを育てることに挑戦中である。「今の葡萄樹は三百年前の受粉から生まれたものだが、その時代の環境に適応した遺伝子情報では、現代の厳しい環境に適応しにくい。新しい遺伝子情報をもった葡萄こそが、次の時代を生き延びる」と考えているからだ。“伝統”に疑問をもって仕事をしてきたミシェルらしい着想である。

 親の代には平凡なワインを作っていたM.シャプティエが、評論家のパーカーさんをして「地球の輝き煌めく光のひとつ」といわしめるほどの飛躍を遂げたのは、この7代目当主の、「親の仕事に疑問を持つ姿勢」があったればこそだ。先代の地位や権力をホイホイと継承し、平然と七光りを享受しているやからたちに、ミシェルの作る極上のワインを“爪の垢”代わりに飲ませてやりたいと思うのは、私だけだろうか。

■今回のコラムに登場した商品

  • 『M.シャプティエ』

プロフィール

亜樹直(あぎ・ただし)

講談社週刊モーニングでワイン漫画『神の雫』を執筆。これは姉弟共通のペンネームで、2人でユニットを組んで原作を描いている。時に、亜樹直A(姉)、亜樹直B(弟)と名乗ることも。このコラムを担当するのは姉の亜樹直A。2人で飲んだワインや神の雫の取材秘話など、ワインにまつわるさまざまなこぼれ話を披露していく予定。

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