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コラム「論より、おやつ。」

ほろにが豆乳プリン

2007年08月13日

 アトリエのある京都・旧二条通に、氷屋があって助かった。拙著「パリ砂糖漬けの日々」出版パーティーを前に、冷蔵庫は満杯だ。缶ビール100本は洗濯機と保冷箱に入れ、それぞれ1角(4キロ)の氷で冷やす。私とオーブンは暑苦しくフル回転する。3日間で眠ったのは7時間ほど。タコや鶏肉のテリーヌを仕込み、卵80個を泡立ててチョコレートケーキやマドレーヌを焼く。50人分の「引き出物」として、手製の焼き菓子4種類と拙著を紙袋に詰めた。

写真64人の参加者であふれたアトリエ「おやつ新報」=吉村麻由さん撮影
写真「引き菓子」に焼いたチョコレートケーキ

 はて、どこに置こう。長屋に60人以上が来てくれる。お菓子に場所を取られるわけにはいかない。近所で閉店する本屋さんに譲ってもらった本棚に並べたが、まだ足らない。和室の鴨居に押しピンを刺して吊るす。「ブサイクなことして」と、大家さんが見たら卒倒しそうだ。ナイショ内緒。

 寝ずに当日朝を迎えた。シメに出す豆乳プリンを作る。とろりと甘い4リットルに砂糖を入れて沸かす。ブクブク泡立つ前に火を止めて、ゼラチンを入れて、と。大鍋の前で仁王立ちしていたら、宅配のお兄さんの声がした。「おおきに〜。お花です」。送り状には意外な名前があった。初任地の先輩からだった。

 ペラペラの英語で電話取材するのを二つ隣の席で聞きながら、私はダメ出しされた原稿を書き直していた。二つ上の先輩はまぶしくてため息が出た。まだ数少ない女性記者同士だった。ズッコケ珍獣の後輩なんて彼女の眼中になさそうだった。初任地を去って10年以上、メール1通のやり取りもなかったのに。

 小さなヒマワリと薄いピンクのバラが3輪ずつ。かわいい花かごにはメッセージがあった。「勇気のない私は ひそかに応援してました。これからも頑張って!」。うわぁ、うわぁ。みるみる涙がブワーとなった。知らなかった、気にかけてくれていたなんて。

 「やりたいことがあったって、みんなガマンしとるわ。どうしてアンタだけガマンできんのんかなぁ」。母の言葉だ。私が会社を辞めたときボソッと言った。そう、ガマンが足りず好きなことをしているだけなのに、応援してもらえるなんて。

 泣いている場合じゃなかった。鍋までブワーとして、豆乳の大波が立っていた。いけない。必死でお玉でかき混ぜる。うっかり鍋底を焦がしてしまった。パーティーに出した64個のプリンはちょっと、ほろ苦かったかもしれない。

 先輩にお礼のメールを書いた。すぐ返事が届いた。近くの業務用梱包材の店でレジを待ちながら、携帯で読む。「今、イキイキと、書けないであろういろんなことを飲み込んで、前を向いて生きているであろう多田さんに、ささやかながらお祝いを……」。あーあ、まったくお見通しだ。かなわないや、昔も今も。また涙ブワー。「りょ、領収書ください……」。泣きながら言う。妙な客だ。私の珍獣ぶりも相変わらずかもしれない。

プロフィール

多田 千香子(ただ・ちかこ)
おやつ研究家・食ジャーナリスト。1970年、岡山生まれ。岡山大学法学部卒。朝日新聞記者として12年余、新潟・福山・大阪・福岡で働く。2005年、フリー。パリ製菓留学をへて現在、京都在住。ウェブサイトは「おやつ新報別ウインドウで開きます」。
朝日カルチャーセンター神戸別ウインドウで開きます大阪別ウインドウで開きます京都別ウインドウで開きますで食やお菓子に関する講座を担当しています。パリ滞在をつづったエッセー「パリ砂糖漬けの日々」別ウインドウで開きますが文藝春秋より発売されました。
 「パリ砂糖漬けの日々」写真展を、大阪、北九州、岡山で開きます。20〜50点の写真が織りなす、パリ20カ月の風景です。
 ・北九州 9月1日(土)〜10日(月)の10:00〜18:00、小倉北区室町のリバーウオーク北九州内、朝日新聞西部本社4階・朝日さんさん広場
 ・岡山 10月10日(水)〜11月2日(金)の11:00〜22:00、岡山市内山下のルネスホール内、公文庫カフェ

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