2008年6月16日
腰をかがめて作業するしろうと田植え団
半分ほど終えて、ハイチーズ=いずれも京都市左京区久多上の町で、山崎直純さん撮影
ほんの遠足のつもりだった。甘かった。元職場の師匠マッサンの初の田植えに誘われた。会社に住んでいるような人が農業に目覚め、田んぼを借りたという。田植えって今ごろ? 1カ月遅いような…。でも少女時代は農薬のにおいが漂う田んぼ道を通学し、米どころが初任地だった。なつかしい。案内メールにはこうあった。「長靴は40センチ丈のものを」「苗は30センチ間隔で植えます」。えらく細かい指示が飛ぶ。わざわざ長靴を買いたくない。裸足でいいよね。まともに読んでいなかった。
めざすは京都市左京区の久多(くた)地区だった。京都の中心から車で1時間半、店は1軒もなく朝刊は昼に届き、携帯は通じない。左京区って奥深い。最寄りのバス停から徒歩3時間と聞いて公共機関はあきらめた。元同僚スミチャンのレンタカーに乗せてもらう。大阪・北新地で「お箸バー」を営むツグミちゃんも一緒だ。福井へ向かう鯖街道を走る。そろって徹夜の3人の目に朝日が染みる。大原の朝市に寄り道したら旅心がわく。田植えなんてどうでもよくなってきた。「このまま鯖寿司食べに福井まで行こう」「いいかも!」
師匠を見捨てる勇気もない。遅ればせながらたどり着く。東京や名古屋、大阪から記者たち10人以上が集まっていた。山あいの水田は思いのほか広かった。一反(1000平方メートル)に1万本の苗を手植えするという。近所の80代女性いわく「私がお嫁に来たころのやり方」。10人で腰を1万回、かがめる計算になる。1人あたり1000回の前屈運動、まともにお日様を浴びない夜勤集団に耐えられるのかな。
前日からの作業組に怖い顔で指南される。裸足で田んぼに入る? ダメダメ、これだからしろうとは…。ヒルにかまれますよ。腰痛がひどくなるから1人での作業もご法度。はい、スミチャンとペアになって。マッサン手製の板の定規を水面に当てて、バックしながら目印を目安に30センチ間隔に植えて。深さはそうだなぁ、5センチぐらいまで。聞きながらあせった。こりゃ本気出さないと。
借りた長靴を履いてあぜ道から降りる。ぬかるみに浸った大根足はむやみに重い。ヒルの楽園に「田植え定規」を浮かべる。目印に沿って腰をかがめて苗を沈める。よ、よいしょ…。後ずさりするたび転びそう。これを1000回やるのかぁ。ますますよろけそうになる。あぜ幅20メートルが終わりに近づく。お、陸が見えたぞー。遭難した船乗りみたいに叫ぶ。「機械入れたらいいのに」「好きに植えさせてほしいですよね」。2列を済ませて休憩しながらスミチャンと言いあう。一揆が起きるわけだわ。
ハツさんの営む民宿で昼食のちらし寿司をいただくと、前日組は帰って行った。えっ行っちゃうのね。もう1枚の小さい田んぼが手つかずで残っている。心細くなった。
Sサイズの田にはコシヒカリとフクニシキをかけ合わせた「フクヒカリ」に加え、赤米と黒米も植えるという。赤と黒を混ぜて植えると虹色になると聞いたことがある。庄屋と化したマッサンに提案してみるが却下された。またロープを張って「ここから赤米」「あっちが黒米」と仕切っている。小作人となった弟子は思う。この人、新聞紙面もここまできちょうめんにレイアウトしていたっけ…。
しろうと田植えは里の注目の的らしい。ご近所さんが「もっとまとめて植えて」「いいコメ育つよ」と声をかけていく。一人田植え禁止令は無視し、赤米を3列植えた。編みがさが似合うにわか農業青年スミチャンは「投げ植えしてみよう」。マッサンのいないすきに苗を放り投げていた。きれいな弧を描いて落下傘のように根っこから落ちる。おぉ見事な着地、9.8点、9.8点。でも見つかっても知らないっと。
翌日は日焼けと腰痛患者が続出した。ヤマチャンは太ももの激痛で動けず、しばらくロボット歩きを強いられた。私も背中に鈍い痛みが不気味に数日続いた。こんなに苦労したのに田んぼは「シカのレストラン」になった。たった一夜で苗がたくさん食われたらしい。ヤマチャンいわく「夜に民宿で鹿肉を食べた仕返しか」。憎らしい。コメがとれたら「おにぎりを握る会」を私のアトリエで開きたいのに。その前に稲刈りが待っている。無愛想なマッサン、また意外な人望で人を集めるんだろうか。東京から駆けつけたオーニシさんの見立てはこうだ。「ジンボー? んなことないか。やっぱりみんな、ほっとけなかったのかな…」。

おやつ研究家・食ジャーナリスト。1970年、岡山生まれ。岡山大学法学部卒。朝日新聞記者として12年余、新潟・福山・大阪・福岡で働く。2005年、フリー。パリ製菓留学をへて現在、京都在住。ウェブサイトは「おやつ新報」。

朝日カルチャーセンター大阪・京都で食やお菓子に関する講座を担当しています。パリ滞在をつづったエッセー「パリ砂糖漬けの日々」が文藝春秋より発売されました。
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