2008年9月29日
鴨川を背に川床で手製カップケーキに入刀
香港のトモコさんがエアメールで送ってくれた黒もち米=いずれも京都市中京区
ちょうど結婚祝いのカップケーキが焼けたころだった。きっかり正午の約束があった。もう行かなくちゃ。ガラス戸越しにバイクが長屋の前に止まるのが見えた。あれ、郵便さん、今ごろ珍しい。チーズケーキと引き換えに近所の人が作ってくれたポストを開ける。速達が1通、入っていた。あて名の筆跡には思い当たりがなかった。消印の地名には覚えがあった。ドキッとした。白い封筒をひっくり返す。
やり取りが絶えて15年になる相手だった。人生で一番、手紙を交わした人かもしれない。携帯電話もメールもない時代だった。就職して遠く離れても、別れが来るとは思っていなかった。雑な私が勝手ばかりして、いつでも帰れると思っていた港は気づいたらなくなっていた。
玄関先で封を開ける。真っ白な便せん2枚は見覚えのある字で埋まっていた。乱筆お許しくださいとの結びが不似合いなほど丁寧で、一字の間違いもなかった。タダサンの本を複雑な気持ちで手に取り、それでもなつかしく読んだ、いい本ありがとう…。両ほおに涙が土砂降りになった。驚くようなホッとするような。彼にとって、思い出したくない相手じゃなかったんだ。
自転車で三条会商店街を突っ走った。約束のイギリス食堂でハルコさんとマリさんを待つ。かばんから取り出してまた読んだ。自分でもわからない。なんでこんなに動揺するんだろう。目が真っ赤になる。少し年上のお姉さん2人に話した。マリさんは「行こうよ、会いに」。え、いまさら。ハルコさんも「いいねいいねー、また遠足に行こう」。ガラにもなくおセンチな私をほったらかして盛り上がっていた。
その手紙が届いた前日、たまたま郵便局に行っていた。窓口で新発売の「源氏物語千年紀」記念切手が目にとまり、なんとなく買っていた。15年ぶりの便りを待っていたみたいと思うのはこじつけか。返事を書こう。2人と別れてアトリエに戻り、ペンをとった。まず謝るべきか。15年も前のことを思い出すのもイヤかもしれない。かといって「なつかしい」とも書きたくなかった。思い出ファイルに収めたくないのだろうか。ごちゃごちゃ悩んだ揚げ句、一筆せん5枚に書きなぐった。手紙が届いた、勘違いかもしれないが見守ってくれてありがとう…。お菓子を届ける2次会の時間も迫っていた。大急ぎで封をしてカバンに入れた。
夜になって鴨川沿いのバーにカップケーキを届けた。ブルーベリー入りにバタークリームを絞り出し、小さなタワーに仕立てた。川床のテーブルで組み立てる。「皆様、どうぞ高砂にお近づきくださーい。新郎新婦のケーキ入刀です」。しゃしゃり出て実況した。どうぞお幸せに。お祝いしながら手紙のことを考える。投かんしようかどうしようか。えーい、出しちゃえ。帰る道すがら三条通のポストに入れた。
アトリエに戻って読み返す。末尾に携帯とメールアドレスが記されていた。行間を深読みしすぎて妄想ワールドに突入する。電話OKということだろうか。怖い気もした。声を聞いた瞬間、なにかが堰を切ってあふれてくるのかな。受話器の向こうから子どもの声とか聞こえたりして。それならそれでホッとする気もした。自分の携帯に番号を登録だけする。じゃあメールを出そうか。書くことがありすぎるような全然ないような。「お久しぶりです」「手紙ありがとう」はもう郵便で書いてしまった。「○○様」と打っただけで「下書き」フォルダに直行させた。
中途半端な自分がうっとうしい。2次会で余ったケーキを食べながら何度も読む。ブルーベリーが甘酸っぱい。あ、油ジミをつけちゃった。いつまでたっても雑だなぁ。なにやっているんだろう。
落ち込んでいたら翌日、30代の女性から達筆の手紙が届いた。「これはラブ・レターです」。いつもコラムを読んでくれているとのことだった。やっぱり泣けた。入社同期のハマチャンも忙しいのにハガキをくれた。香港のトモコさんは「香港式おしるこに」と黒もち米を送ってくれた。まだ切手もある。思いは伝えなくちゃ。空白の15年後の速達が教えてくれた。

おやつ研究家・食ジャーナリスト。1970年、岡山生まれ。岡山大学法学部卒。朝日新聞記者として12年余、新潟・福山・大阪・福岡で働く。2005年、フリー。パリ製菓留学をへて現在、京都在住。ウェブサイトは「おやつ新報」。

朝日カルチャーセンター大阪・京都で食やお菓子に関する講座を担当しています。パリ滞在をつづったエッセー「パリ砂糖漬けの日々」が文藝春秋より発売されました。
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