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絵本になった私

2008年11月17日

  • 筆者 多田千香子

イラスト絵本「チカチカ ブンブン」の主人公チカチカ写真「おもいでマカロン」かもしれない?レモン味の手製マカロン写真「ふわふわ」めざして焼いたシュー皮

 パリ留学を終えた2年前、岡山の実家に戻った。台所の棚を片付けていた母が「これ使う?」と箱を取り出した。ピンクのハンドミキサーだった。お菓子作りを始めた小学生のころ買ってもらった。銀色アラザンをのせた白いケーキや真っ赤なドレンチェリー入りのバターケーキ…。バターも生クリームもあっというまにフワフワになる。魔法みたいに思えた。便利なようで失敗も生んだ。「ノンノ・ケーキブック2」に載っていたチョコレートケーキを作ったら、粉を混ぜすぎたのかゴムみたいになった。姉は「チカチャンが泣くから、おいしいって言われえ(=言いなさい)ってお母さんに言われた」と告げなくてもいいことを口にした。

 記者になって故郷を離れた。お菓子道具は置いていった。駆け出し時代の休日は案の定、起きたら日が暮れていた。ご飯を食べて洗濯したらハイ終わり。ハンドミキサーを再び手にしたのは5年後、大阪に引っ越してからだった。ブラウン製の多機能タイプで値が張った。棚にしまいこんで稼働したのは月1回、あるかないかだったがうれしかった。

 パリの料理学校では文明の利器を使わせてもらえなかった。ダックワーズに使う卵白7個分だって手作業でシャカシャカした。夏はエアコンがなくて大汗をかいた。せめて家では機械頼みに。オペラ座近くにあるブックオフの掲示板で、たまたま「帰国売り」を見つけた。ケンウッド社のハンドミキサー、5ユーロ(700円)とあった。お買い得かも。すぐに電話して譲ってもらった。さっそく日曜日、授業の復習にガトー・ウイークエンドを作った。レモン味のバターケーキで、まず全卵を泡立てる。ビューン。ハンドパワーに比べてなんて速いんだろう。子ども時代の感動がよみがえった。もっとも卵2個までなら腕を鍛える「泡立てエクササイズ」を選んだ。アナログな学校のおかげだろうか。

 泡立て器のことを思い出したのは、大阪の絵本作家マリさんが私をモデルに絵本を描いてくれたからだ。主人公の「チカチカ」は、魔法の泡立て器を持つ女の子。木の上に住んでいる。得意なのは忘れたことを思い出す「おもいでマカロン」に、体が軽くなる「ふわふわシュー」を作ること。「魔法の銀の泡立て器さん!」と叫んで一振りすれば、願いごとをかなえてくれる。魔法がうまくかからなければ、自力で望みをかなえてあげようとする…。

「チカコさんの子ども時代に似ているでしょう?」。マリさんに言われた。とんでもない。ソバカスで髪を二つに結んだチカチカとは似ても似つかない。ショートカットで男子によく間違えられた。お菓子作りは好きだったがほめ言葉を強要し、かわいげのかけらもなかった。モデルがパッとせず申し訳ない。洋書風の絵本にしたいとマリさんに聞いて、無謀にもフランス語訳を引き受けた。にわか翻訳家は「わくわく」「ふわふわ」を「喜んで」「軽い」と素っ気なく置き換えてしまう。難しい。マカロンやシューを作りながらイメージをふくらませる。銀の泡立て器はないけれど、幸せになるおやつの魔法はかけたいな。忘れたことは忘れっぱなし、体をどんどん重くするのが得意なのも直りますように。願わくは思いきり生きていられたら。我が家に泡立て器もないころ亡くなった父と、ついに同い年になってしまった。

プロフィール

多田 千香子(ただ・ちかこ)

おやつ研究家・食ジャーナリスト。1970年、岡山生まれ。岡山大学法学部卒。朝日新聞記者として12年余、新潟・福山・大阪・福岡で働く。2005年、フリー。パリ製菓留学をへて現在、京都在住。ウェブサイトは「おやつ新報」。

朝日カルチャーセンター大阪京都で食やお菓子に関する講座を担当しています。パリ滞在をつづったエッセー「パリ砂糖漬けの日々」が文藝春秋より発売されました。

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