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怖くない、怖くないインターナショナルレシピ


和・洋・中と並び、世界には美味しい料理が数多くありますよね。「食べたことはあるけど作り方を知らない」とか、「作ったこともあるけど何か物足りない」ってことないですか?ちょっとしたスパイスを加えることで、料理の味付けはガラリと変わります。スパイシーな料理からちょっと珍しいデザートまで紹介しましょう。

ケイジャン(Cajun)とかクレオール(Creole)って、何だろう?

2007年06月22日

 ケイジャンとは祖先がアカディア地方Acadia(カナダ南東部のノバスコシア地方)に移住して来たフランス人の直系で、英国人によってノバスコシアNova Scotiaから追放された後、最終的にルイジアナ州南部に永住した人々です。

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ジャンバラヤ レシピはこちらから
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写真ホットソース

 クレオールとは、アメリカ南部に最初に入植したフランス人、スペイン人の子孫です。そして文化的には彼らが伴ってきたアフリカ人や、後にニューオーリンズを故郷として選んだその他の人々も含めて考えてよいでしょう(クレオールはヨーロッパ系とアフリカ系との「混血」を指す場合にも使われますが、ヨーロッパ生まれの移住者と区別して「植民地生まれの人」という意味でも使われます)。移住者は祖国で受けた教育や財産のみならず、新世界に料理人達も連れて渡ってきました。

 クレオール文化のルーツは1700年代前半に見いだされます。当時は、領土を統治していたシュード・ビエンヴィーユ(ニューオーリンズの建設者)と共にフランス人がヌーベルオルレアン(現在のニューオーリンズ)に入植を始めていました。フランス植民地時代は、食事は伝統的なフランス風ソースの味付けが特色で、料理の味はマイルドですが手の込んだ下ごしらえがしてありました。当時、食事の調理を担当したのはアフリカ人の料理人で、彼らは食物について独特の知識をアフリカから持ち込んでいました。香りを増すために弱火の上でゆっくりと火を通すやり方もアフリカ人奴隷たちのもたらしたものです。

 ルイジアナ領(ミシシッピ以西)は1762年にスペインへ売却され、基本的にスペイン人はクレオール料理に3つの貢献をしたとされています。第一に、彼らは初めて一つの料理に肉と魚を混ぜて使用しました。この時まではソーセージと海老のジャンバラヤは一般的ではなかったのです。第二は、ライスの上に豆やオクラを乗せるなど、ライスの上に食べ物を盛り合わせました。最後に、スペイン人は自分たちの味覚に合うようにトウガラシを使って煮込み、香料などをたっぷり入れた風味の強い料理を作りあげました。この3つのスペイン風の味付けの要素と複雑なフランス風ソースを組み合わせ、アメリカ原産の食物を使用したものが、クレオール料理の基本となっています。

 スペイン領ルイジアナは、ナポレオン1世の時代に一時フランス領に戻りますが、ほどなく合衆国に売却され、1812年にはルイジアナ州が成立します。そして南北戦争(1861〜1865)の後、イタリア人がニューオーリンズに入ってきたためクレオール料理は方向転換を見せました。イタリア人は赤いトマトソースとおいしいパスタを持ち込み、間もなくしてアイルランド人とドイツ人の移民がやって来て、進化を続けるクレオール料理に彼らの料理の最も優れた部分を付け加えていきます。

 さて「ケイジャンCajun」ですが、この言葉は、「アカディアンAcadian(アカディア人)」という語の転訛した形です。もともとフランスから、特にノルマンディー地方やブルターニュ地方から渡ってきて、1604年にノバスコシアあたり一帯に定住した人たちです。1755年、英国がノバスコシアを獲得したため、彼らは退去せざるを得なくなりました。

 アカディア人はその後30年間さまよい続け、中にはフランスに帰った者もいましたが、仕事が無かったことと英仏戦争のために受け入れられなかったのです。ある者は当時13の州があったアメリカの植民地を目指しましたが、これらの地も彼らが求めていた安住の地とはなりませんでした。長い年月をかけ、幾つもの小さな集団がルイジアナ南部を目指して独自の道を辿っていました。1785年、スペイン王室は故郷を追われた難民アカディア人の生存者をルイジアナ領域に定住させることにしました。スペイン人はこの領地に住まわせる人々を切に必要とし、アカディア人は住む場所を必死に探していたのでした。彼らは領土内の住みたいと思う地域、つまりニューオーリンズ又はその周辺の湿地帯を選択することが許されました。生来が地方人であったアカディア人(ケイジャン)は町より田舎を選んだのです。

 ルイジアナ南西部の豊かな沼地地域では、新鮮な魚や野生の動物が豊富に獲れ、肥沃な土壌からは美味しい果物と野菜が収穫できました。ルイジアナ南部に移住してきた他の全ての人々同様、ケイジャンも手に入る材料で調理することを直ぐに学びました。料理に刺激を加えるために、ケイジャンはハーブや香辛料の使用を実験的に試み、彼らの嗜好に合った強烈な辛さの味を探しました。彼らは1600年代初期にフランスから持ち込んだ知識を活用して調理しましたが、その料理を土着の作物と合うように変えていったのです。

 クレオールとケイジャンの違いは微妙ですが、とても重要です。クレオール料理はイタリアの影響を強く受けています。(トマトソースを使った)赤いジャンバラヤはクレオール特有の料理ですが、茶色のジャンバラヤはケイジャンの代表料理です。そして、この奥の深いCreole料理法とCajun料理法が見事にブレンドした料理法が、現在の有名なルイジアナ料理であると言って良いでしょう。

【ホットソース】

 とうがらしを塩漬けし、酢を加えて熟成させてつくるスパイシーで風味豊かなソースをホットソースまたはペッパーソースといいます。日本でもなじみのあるタバスコもホットソースの商標のひとつで、1868年にルイジアナのマキレニー社が売り出しました。レストランでも家庭でも食卓に置かれ、好みで料理にふりかけて使われますが、調理中の調味料としても活躍。スパイシーさはルイジアナの料理を特徴づける味のひとつですが、そこにはこれらのホットソースも一役買っています。


プロフィール

三木 敏彦(MIKI TOSHIHIKO)
辻調グループ校 フランス料理・エスニック料理専任教授。 辻調グループ校で教鞭をとるかたわら、フランスのレストラン「ブーリヨ」、ポール・ボキューズ」、「ジョルジュ・ブラン」にて研修。クリスチャン・ブーリヨ氏(M.O.F.)、ポール・ボキューズ氏(M.O.F.)、ジョルジュ・ブラン氏という一流の料理人に師事。
1992年よりエスニック料理の研究をはじめ、ベトナム、タイなどのアジア諸国をめぐり、またアメリカ合衆国を横断して、さまざまな民族の料理(エスニック料理)を現地で味わった。その経験から、和・洋・中だけでなく、世界にはおいしい料理が数多くあることを伝えたいと願っている。

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