東京下町では、キンミヤ焼酎を炭酸水で割る酎ハイが人気だ=東京都荒川区の「大坪屋」、深津写す
キンミヤ焼酎を造る宮崎本店の宮崎由至社長=三重県四日市市楠町
移動年計 偶発的な増減で変動が大きくなるのを防ぐため、年間にならして推移をみる方法。当該月を含む1年分の数値を、1カ月ごとに推移させる
キンミヤという焼酎をご存じだろうか。正式名称「亀甲宮(きっこうみや)」。三重県四日市市の造り酒屋「宮崎本店」が造るこの甲類焼酎が、東京の下町を中心に売れに売れている。世間に不景気風が吹く中、瓶のサイズによっては出荷量が前年の3倍を超す月もあるほどの好調さだ。地元、東海地方の売れ行きは「さっぱりあかんですわ」(宮崎由至社長)というキンミヤが、いったい、なぜ東京で人気なのか。
東京の下町、荒川区の南千住駅のすぐ近く。午後4時30分きっかりに、創業1923年のしにせ酒場「大坪屋」の明かりがともる。
「酎ハイひとつ」。客の注文が入ると、ビール用の中ジョッキにキンミヤをパッ。秘伝の梅エキスをチョボチョボ。氷を二つ放り込んで、客の元へ。別に出された炭酸水を好みの量だけ自分で注ぎ込んだら、完成だ。これで1杯、なんと200円。安い。
「ビールも置いてるけど、やっぱり酎ハイが一番出るね。焼酎はもちろんキンミヤ一本。くせがなくて、味がいいもん」。2代目の杉井章一さん(73)が言う。
宮崎本店によると、キンミヤの飲み方は、大坪屋のようなスタイルが一般的だという。「下町ハイボール」とも言うらしい。「キッコウミヤ」がいつの間にか略して「キンミヤ」と呼ばれるようになった。
キンミヤと東京とのかかわりは、かなり古い。
宮崎社長の説明では、1846年の創業当時から、焼酎を造っては船で東京に運んでいた。躍進のきっかけとなったのは、関東大震災だったという。
「売掛金の回収を急ぐよその酒屋を尻目に、うちの3代目は、焼酎かめに水を満たして運び、無料で取引先に配ってまわった。下町の方々はその恩を忘れず、飛躍的にキンミヤの取引が増えたそうです」
味にも秘密がある。仕込みに使われるのは、超軟水の鈴鹿山脈の伏流水。とげとげしい炭酸の口当たりを、ぐっとまろやかにする効果がある。「だから、下町の飲み方に合ったのでしょう。ぜんぶ、地元の水のおかげですわ」。宮崎社長はこう話す。
こうして下地が長い間つくられていたところに、近年の昭和ブームと相まって、下町から山の手へとキンミヤ人気がじわじわ広まっていったという。2年前からは、関東地区限定ながら大手コンビニチェーンでも扱われるようになった。売り上げも月を追って増えた。
ずっと昔に酒店に配っていた前掛けや布袋までもが、一般客から電話で「どこかに売っていないのか」と問い合わせが相次ぎ、復刻して販売したところ、すぐに売り切れてしまったほどだ。
「焼酎は安いから、この不況でもっと伸びるだろう」。こう意気込む宮崎社長の悩みは、地元の東海地方でほとんど売れないことだ。
最大の理由は、焼酎を炭酸水で割る習慣が、東海地方にないからという。さらに東京で使われている炭酸水は、下町の小さな工場で作られており、炭酸の力が極めて強い。
「あの強い炭酸水でなければ、キンミヤの味がなかなかいきない。一度、取り寄せようと思ったが、『運賃が高くて割に合わない』と断られてしまった」
しかし、宮崎社長はこう言う。
「キンミヤ全体の売り上げの9割以上が、残念ながら東海以外。こちらでもいつか必ず、はやらせたい」(深津慶造)
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