開店50周年祝いの花を客から贈られた「露口」の露口貴雄さん、朝子さん夫妻=松山市二番町2丁目
松山市の老舗(しにせ)カクテルバー「露口(つゆぐち)」(二番町2丁目)が開店50周年を迎えた。バーテンダーの露口貴雄さん(71)が店を開いたのは、巨人の長嶋茂雄選手が4打席4三振でデビューし、東京タワーが完成した1958(昭和33)年。以来、白いワイシャツに蝶(ちょう)ネクタイ姿で半世紀、シェーカーを振り続けてきた。50周年の夜、なじみの客らが祝いのグラスを傾けた。
タモの木の一枚板でできたカウンターが1カ所だけ、くぼんでいる。露口さんが、作ったカクテルをグラスに注ぐ場所だ。この50年、定休日の日曜・祝日を除く毎晩、グラスと洋酒の瓶が繰り返し置かれ、表面がすり減ったのだ。
通りに面した店の木彫りの看板も「Suntory Bar 露口」の文字がはがれ落ち、今では文字の跡でかろうじて読み取れる状態だ。それでもカウンターに13席だけの店は毎夜、満席になる。
徳島市出身の露口さんは、大阪へ出て3年間、バーテンダーの修業をした。「松山にできる四国初のトリスバーが店長バーテンダーを募集中」と聞いて応募。店長を契約期間の1年務めて資金をため、58年8月15日、21歳で「露口」をオープンした。
終戦記念日に開店したのは理由がある。8歳の時に終戦を迎えたが、焼夷(しょうい)弾の降り注ぐ中を逃げた空襲の恐怖感は今も忘れることができない。開店日を終戦の日に合わせたのは「自分なりの平和へのメッセージ」という。
ジャズの流れる店で洋酒を飲むスタイルは、当時の松山では珍しかった。開店から4年目に結婚し、以来、カウンター内でいつも一緒の妻朝子さん(65)は「夫は頑固で職人気質。自宅では芸術関係の雑誌や本ばかり読んでいる」と話す。物静かな露口さんの美術や音楽志向がじんわり客にも伝わり、文化や芸術を愛する客らが集う店になった。
露口さんは客に勧められても営業中に決して酒を口にしない。ビールを置かず、ボトルキープもない。「職人として自分の手で一杯一杯作ってお出しする」ことにこだわっているからだ。LPレコードはCDに変わったが、カラオケを置くこともなく、店のスタイルは開店当時のままだ。
50年近く通い続ける浅川公夫さん(69)は「昔から何一つ、変わっていない。だから安心して寄れるんです」と話した。
定休日以外に店を休んだのは、81年にサントリーのトロピカルカクテルコンテストでグランプリを受賞し、ニューカレドニア旅行に1週間、招待された時だけだ。
50周年記念日の営業を終えた露口さんは、「おかげさまで店も我が身の健康も変わりなく50年続けられた。次は60年の『還暦』をめざして頑張ります」とグラスを磨き上げながら、ほほ笑んだ。(寺門充)
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