【徳島】100円ラーメン 最後の名残消える2007年06月06日 「100円中華」の文字の上を白のペンキをつけたハケが走った。5日、徳島市徳島町城内の徳島中央公園にある千草食堂前。世間がバブル景気に踊り、あらゆる物の値段が上がる中、頑(かたく)なに値段を守り続けた「100円ラーメン」の最後の名残の「看板」が消えた。店内で笑顔で接客をしながら文字消しの作業をみつめた経営者、工藤節子さん(61)の目は少し潤んでいた。
千草食堂は、終戦直後の1946(昭和21)年の開業。節子さんの父・一(はじめ)さんと母・文子さんが、簡単な食事を提供した。その店は80年代後半、「100円ラーメン」の登場で転機を迎えた。元々350円だったラーメンを値下げした。「店の場所を知ってもらうために何かしなければ」と一さんと節子さんが始めた。鶏ガラしょうゆ味のスープに、モヤシ、ネギ、豚肉。値段は安くても手抜きはしなかった。 誕生のきっかけは、実はもう一つある。それは、84年の母・文子さんの死だった。長年連れ添った妻をがんで失ったことに、一さんはショックを隠しきれなかった。気持ちが沈んでいく父と店の雰囲気を盛り上げようと節子さんが100円ラーメンを提案した。 ◆一日150杯も 当たった。1日に150杯出たこともあった。節子さんによると、1日に4回来た人もいたという。今でも時々訪れる同市幸町3丁目の無職松田喜久雄さん(69)は「小さい子ども2人を連れて公園に遊びにくるとね、ここのラーメンをよく食べたよ。そりゃ、すごい人気だった」。同市内で居酒屋を経営する森本満さん(35)は中学校からの帰宅途中、毎日のように寄った。「野球部の練習が終わって、腹が減って家までもたんかった。小遣いでも食べられるので本当にありがたかった。思い出の味です」と振り返る。 しかし、89年4月に導入された消費税が名物ラーメンに影を落とした。麺(めん)の仕入れ値が上がり、薄利多売を直撃した。「子どもの客が多くてね。もうやってないんよと言うのがつらくて」。2年近くは踏ん張ったが成り立たず、91年1月、みそ味にして200円に値を上げた。 これを機に客足は遠のいた。 ◆歴史を物語る 「看板」は100円ラーメンを発売する時に作った。それ以来、値上げしても、ずっと捨てられなかった。コンクリートの土台にトタン板。表裏に黒字で「100円」、赤字で「中華」。所々がへこんだり、傷ついていたり。店の歴史を物語っていた。「何度か処分しようと思うたけど、お父さんのことがなつかしいきねぇ。すだれをかけておいた」。常連客にも「残しておけ」と言われた。しかし、「時々お客が勘違いするから」と白く塗ることにした。 知人がペンキを塗るのを、店にいた常連と節子さんが見つめた。ハケが「100円中華」の文字の上を走った。まばゆい白が「歴史」を上塗りする。笑顔が印象的な節子さんも「お父ちゃんの最後や。さすがに……」。 近くの女性客が「もう死んどるけんな」と明るく呼びかけた。少しの間をおき、みんな笑った。店内には「中華そば400円」の文字。千草食堂は100円ラーメンの歴史を乗り越えてまた日常に戻った。 この記事の関連情報食と料理
|
ここから広告です 広告終わり 食と料理サイトマップフード・ドリンク
一覧企画特集
どらく
朝日新聞社から |