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【徳島】亡き兄、亡き母へ思い託し/生きがいの養蜂

2007年06月24日

 無数のミツバチが巣箱を出たり、入ったり。花き農園の裏の林で、養蜂業井内トミ子さん(79)=徳島市多家良町=は耳元で飛び交うハチにたじろぎもせず、作業をしていた。重労働にも養蜂をやめられない。亡き兄、亡き母への思いがあるからだ。

写真巣箱にはミツバチがびっしり

 28軒の養蜂家で作る県養蜂協会員の一人。1945年から3年半、小学校の教師だったが退職。家業の農業と養蜂業を継いだ。今、西洋ミツバチを約40箱飼育する。1箱4万〜5万匹のハチを前に、「人と同じ。柔らかく接したら、よくしてくれる」と笑う。

 養蜂は、季節の花を追う仕事だ。3月下旬の神山町の梅林から始まり、同町の森林公園のサクラ、徳島市内のレンゲ畑、スダチやミカン畑と巣箱を転々と移動させて集蜜をする。夏場は暑さが苦手なハチのために、標高の高い三好市井川町の山林まで移動。卵をたくさん産ませるには、昼は涼しく夜は冷える環境が大事なのだそうだ。

 花を咲かせる仕事もある。「蜜をとる時、ハチの体に花粉がつくだろ。それでイチゴやメロンを授粉させるんよ」。農家に頼まれては軽トラックでハチを運び、ビニールハウスに放す作業もこなす。

 巣箱は上下2層に分かれた木製で、重さは20キロ以上。蜜の量などでさらに重くなる。「娘には『もうやめえっ』て言われる。でも、ハチを絶やすわけにはいかんのよ。兄の形見だから」

 トミ子さんには、8歳年上の兄・守一さんがいた。42年ごろ、教員だった兄は1カ月分の給料をためて、西洋ミツバチを1箱買った。「おもしろい、おもしろい」。しきりにハチをのぞきこむ兄の姿を、トミ子さんは母・ヤヱノさんの背中越しで見ていた。

 そんな守一さんに召集令状。1年後、ニューギニア・ビアク島で24歳の若さで戦死した。戦地から届いた兄の手紙には「活発な性格だし、体育の先生になったらどうか」と書いてあった。家族思いだった兄の死に母はふさぎこみ、毎日、仏壇の前で涙にくれた。

 その母が2カ月も過ぎた頃、おもむろにハチの世話を始めた。兄の供養を始めたように見えた。姉も嫁いで、家には自分一人。そして言われた。「お前がいてくれてよかった」

 「教師やめて、継がなきゃ」。母と二人三脚で養蜂を営むことになったきっかけだ。

 その母も95年に96歳で亡くなった。しかし、やめようと思ったことはない。現在は長女恵子さん(58)が巣箱づくりなど手伝ってくれる。

 「仲間もみんな年をとった。体も確かにせこい(つらい)。でも、ハチの世話が兄や母への供養。生きがいなんです」

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