現在位置:asahi.com>>ニュース> 記事

食ニュース記事一覧

食ニュース

【山形】喜多方ラーメン早朝ルポ

2007年08月29日

□「朝ラー」大入り

写真

あっさりスープの米沢ラーメン

写真

米沢牛やタマネギのソテーをのせた「まんぎりラーメン」。発売当時はチャーシューだった

写真

海の幸を主役に、ワラビ、特製みそなどをトッピングした「そんぴんラーメン」。現在は販売休止中。来年、再開する予定=かど久提供

 出勤前に一杯週4の猛者も

 米沢のお隣、ラーメンで有名な福島県喜多方市で「朝ラー」なるものが注目されている。朝からラーメンを食べる習慣で、地元の人には「当たり前のこと」。週末には朝ラー目当てに山形はもちろん首都圏からも訪れる人がいるらしい。1世帯当たりのラーメン年間支出額日本一の山形市民としては、気になる話だ。朝ラーとはどんなものか。喜多方へ向かった。

 お盆明けの週末、午前6時40分。米沢市から国道121号を通って喜多方に着いた。市役所近くの「まこと食堂」は7時半開店なので、さすがにまだ客はいない。仕込みに忙しい店内から、とんこつと煮干しだしの香りが漂うが、低血圧の私は食欲がわいてこない。

 店の前をうろうろしていると、山形ナンバーのバイクが1台やってきた。ヘルメットを脱いだのは、午前5時に河北町を出発してきたという布川浩之さん(47)。9月に福島県で開かれる全国のバイク愛好家が集まる合宿で、朝ラー体験を企画。その下見にきたという。

 胃のあたりをおさえながら「まこと食堂は、何度か食べたことあって、おいしかったけど朝はもたれる。やっぱり食べられないな……」と、ここまで来たのに乗り気じゃない。「せっかくだから」と誘っていると、開店時間より早く午前7時前に店が開いた。

 テーブル席はあっという間に埋まった。注文を聞かれない地元常連客もいた。私たちは「中華そば」を注文。時計の針はまだ8時前、太陽も昇りきっていないのにまるで昼時のような風景に何だか落ち着かない。

 20分ほどでラーメンが運ばれてきた。透き通ったしょうゆベースのスープにチャーシュー、メンマ、ネギ。あれ? 意外にスルスルと胃に入る。布川さんは10分もかからずに平らげた。「さっぱりしていて食べられますね。おいしい」

 布川さんの丼の内側に「大当り」の文字が。おばちゃんは「もう1杯食べるかい?」。冗談を飛ばしながら、景品の土産用ラーメンセットを持ってきてくれた。荷物を入れるバッグがないからと布川さんにラーメンセットを譲ってもらった。一応、遠慮しつつも「ラッキー!」

 布川さんと別れ、2軒目の「坂内食堂」を視察した。こちらも店内はほぼ満席。駐車場はいっぱいで県外ナンバーもある。近くの市役所駐車場に庄内ナンバーを発見。ネギチャーシューを食べて帰るところという男性(48)は、昨年秋から米沢市で単身赴任中。月1回ペースで「坂内」か「まこと」で朝ラーだそうだ。

 「両方とも昼間は観光客で行列。並びたくないから朝来ている」。92年に国道121号大峠道路が開通し、米沢と喜多方は車で45分ほどの距離に近づいた。男性は20年前、福島県郡山市で勤務していたときも、はるばる朝ラーに通っていたそうだ。

 地元の人はさらに「ヘビー朝ラー」だ。「あべ食堂」で会った松崎明さん(55)は、週4日ペースの自称「朝ラー症候群」。平日に喜多方で朝ラー後、出勤する米沢市在住の男性2人組に出会ったことがあるという。

 再び、まこと食堂に戻ると、山形ナンバーの乗用車が駐車場から出てきた。後部席には子どもが乗っている。家族連れだろうか。話を聞こうと追いかけたが、一歩遅かった。

 昼時、「あべ」や「坂内」には50〜60人の行列ができていた。宮崎、湘南、静岡、神戸――。駐車場や道路脇には、全国各地の車が止まっていた。市役所の駐車場も、県外ナンバーで満車だった。

■なぜ朝から?期限に諸説

 「当然やってる」と人々 工場夜勤明け、農作業後も

 人口約5万5000人の喜多方市には、とにかくラーメン店が多い。朝から営業する店は数軒。朝ラーの起源は諸説あるが、60年代には始まっていたようだ。

 まこと食堂の3代目、佐藤一弥さん(60)は「物心ついてから、当然朝からやってると思ってたね」。市内には戦前からアルミの工場があり、3交代制で稼働している。「夜勤明けの工員に『ラーメン食べさせて』なんて言われて始まったんじゃねえか」

 戦後、街中から遊郭が消え、映画館もなくなった。夜の売り上げが減り、朝の営業が始まったという説、農家が早朝の農作業を終えた後、ラーメンを食べ始めたなど諸説ある。今も、田んぼまで出前してもらうほか、あぜでラーメンを作る農家もあるという。

 早朝野球やソフトボールが盛んで、朝から汗を流した後に熱いラーメンをすする人も多い。会社員の山口久人さん(53)もその1人。平日でも午前5時半から試合をして、朝ラー後に出勤する。ユニホーム姿でやって来て「驚くことじゃねえよ」と、額に汗を浮かべながら食べていた。

 喜多方市はラーメンと蔵巡りを組み合わせた観光に力を入れる。最近は太極拳もブームで、市は早朝の太極拳とその後の朝ラーを合わせて宣伝している。

□米沢 脈々と味を追及

 伝統の細めん具材厳選

 喜多方と県境を挟んで隣接する米沢市。ラーメンで町おこしに成功した喜多方に負けじと「米沢ラーメン」で対抗する。

 米沢は知名度で喜多方に劣るが、細めん(米沢)と平打ち太めん(喜多方)の違いだけ。どちらもしょうゆ味の縮れめんで大正末期に始まったとされる。

 スタートは同じだったが、70年代、喜多方の蔵の写真展が東京で開かれて差がついた。蔵の街並みを取材に訪れたマスコミがラーメンも取り上げ、全国的に注目されるようになった。

 こうなると米沢も黙っていない。昭和元年に創業の「かど久」3代目、佐藤秀司さん(48)は80年代後半、米沢麺業(めんぎょう)組合青年部のメンバー8人とともに立ち上がった。変わり種ラーメンを開発して注目を集めれば、米沢ラーメンの名も広まるはずと考えた。

 新しいラーメンの名前は、米沢人の気質を表す方言で「頑固な、偏屈な」を意味する「そんぴんラーメン」に決定した。

 名前だけ先に決まったものの肝心の中身が決まらない。米沢牛や山菜が候補に挙がったが「単価が高い」「インパクトがない」などの理由で次々に却下。そこで、佐藤さんが提案したのは、なぜか海のない米沢で塩味スープの海の幸ラーメンだった。

 「なぜだ」と反対意見もあったが「偏屈という意味でぴったり」と主張した。

 宮城県塩釜市の水産会社から取り寄せたエビやホタテを主役に、ワラビやゼンマイなど山菜も加えた。半年間の試作を重ね、90年に完成。マスコミから次々と取材の申し込みがきた。

 と、ここまでは予定通りだった。

 マスコミは「そんぴん」だけを取材し、肝心の「米沢ラーメン」には見向きもしなかった。あるテレビマンは「米沢ラーメンは絵にならない」と言い捨てた。

 あきらめきれず、作戦を変更。取材後、記者を居酒屋に連れ出し、酒を飲ませて米沢ラーメンのうんちくを語り続けた。1カ月で30〜40社の取材を受け、夜は居酒屋で地道な宣伝活動。「すぐに花開くことはないが、いつか注目してくれるはず」と信じた。

 狙いは的中した。やがて、米沢ラーメンへの取材依頼が舞い込むようになった。地域を盛り上げようと、仲間の店も紹介した。99年にはカップラーメンも売り出した。

 97年には米沢牛のチャーシューが入った「まんぎりラーメン」も開発した。方言で「完全な」の意味。佐藤さんは「やっぱり米沢牛のラーメンも作りたいという心残りがあったんだ」。

 米沢のためにと奔走してきたが、やがてその思いは変わってゆく。

 努力は道徳のお手本に

 転機は04年。東京や三重県のラーメンテーマパークに出店したことだ。有名店主に「地域のために」と話すと逆に「偽善者」呼ばわりされた。「何かをして広めようとするのではなく、脈々と作っていくことが大切。その結果、地域のためになるかもしれない」。目からうろこが落ちる思いだった。

 佐藤さんたちの努力の歴史は、子どもたちの「お手本」にもなった。身近な話を通じて「あきらめない心を学んでほしい」と5年ほど前、中学の道徳の時間で紹介されたのだった。

 定番になった札幌、博多に続けと和歌山、尾道、横浜とご当地ラーメンも続々と出てくるが「生き残るためには、観光客をいかに呼び込むかが重要。その点、喜多方の方が上手ですね」。米沢だ、喜多方だと張り合わず、おいしいラーメンを追求することが、米沢の発展にもつながると信じて作り続ける。

このページのトップに戻る