源実朝(1192〜1219年)
2011年8月20日
|
◆文学青年
歌人として名高い鎌倉幕府・三代将軍源実朝は、1192年(建久3)8月9日、征夷大将軍源頼朝の次男として生まれた。母は北条政子。将軍家の御曹司として大切に育てられたが、1199年(正治元)、父頼朝を亡くす。家督を継いだ兄頼家は、北条氏との権力闘争に敗れ暗殺された。
実朝は12歳で将軍位を継承、翌年、坊門大納言信清の息女を妻に迎える。1218年(建保6)権大納言、内大臣さらに右大臣に進むが、翌年1月27日、鶴岡八幡宮に参詣した際、甥(兄頼家の遺子)公暁に暗殺された。享年28。
18歳の時、藤原定家に自作の和歌30首の評を請い、定家にその才能を絶賛され「詠歌口伝」を贈られている。家集として『金槐和歌集』があり、勅撰和歌集には92首が入集。
将軍として忙しい政務の傍ら、日々何十という和歌を詠む活発な創作活動時期と、政務も和歌も放擲して塞ぎ込む時期が交互にあったことから、双極性障害ではなかったかと言われている。
肉体的には、青年期に死去したこともあり17歳時の疱瘡のほかに大病の記録はないが、22歳の時、二日酔いになったことが知られている。
鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』第22巻には、「建保二年甲戌、二月大四日、己亥晴、将軍家聊か御病悩、諸人奔走す、但し殊なる御事無し、是若し去夜御淵酔の余気か、爰に葉上僧正御加持に候するの処、此事を聞き、良薬と称して、本寺より茶一盞を召進ず、而して一巻の書を相副へ、之を献ぜしむ、茶徳を誉むる所の書なり、将軍家御感悦に及ぶと云々」とある。意訳すると、2月4日、将軍実朝の具合が悪くなり家臣が奔走する騒ぎとなったが、たいしたことはなく二日酔いであった。折から、御祈祷に来ていた栄西僧正が良い薬があると言って茶を取り寄せ、さらに茶に関する一書を献上したところ将軍は大変喜ばれた、というところであろう。
◆上戸と下戸のエタノール代謝
エタノールは大部分が十二指腸と空腸で吸収されて肝で代謝される。肝でアルコール脱水素酵素によって、アセトアルデヒドになるが、これが顔面の発赤や頭痛、嘔吐などの原因になる。酒の強弱は遺伝的に決まるところが大きく、日本人の多くはアルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH2)の変異型が多く、欧米人に比べて酒に弱い。適度な飲酒は血中のLDLを下げ、健康維持に有用であるが、大量の飲酒は急性アルコール中毒の原因となる。
また、長期間の飲酒による肝障害や末梢神経障害に加えて、アセトアルデヒドは染色体傷害性もあるという。したがって酒に弱い人は無理に飲むべきではない。といっても、付き合いがあるのは昔も今も変わらない。ましてや武家の棟梁であれば断れない宴もあるだろう。
◆酒と創造性
実朝の創造性にアルコールは影響を与えたのであろうか。
英国の精神科医Ludwigは20世紀の34人の作家、画家、作曲家の飲酒歴を調べた。結果25人で創作活動に有害であったとしながら、うち3例では創作のインスピレーションが得られるなど非常に有用であり、17例で間接的な好影響があったという。芸術家にとって飲酒によるストレス解消は創作に好影響を与えるが、飲酒癖があると3分の1は酒量が増してゆき、最終的にはアルコール依存に陥るとしている。
同じく英国の精神科医Postは英国の歴史上名を残した291人の偉人(科学者、芸術家、政治家、軍人、文学者)を検討。その結果、大きな仕事をした人は温かく人付き合いの良い性格が多いものの、アルコール依存は鬱や性的問題などとともに一般人よりも頻繁に見られるとしている。
しかし、上戸であるからアルコール依存になるのであって、兄頼家のように大酒することなく、また自ら進んで酒を求めることもなかった下戸の実朝の場合、長命してもこのような事態にはならなかっただろう。(早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授、メディカル朝日2010年1月号掲載)
◇
この連載コラムでは、豊富な文献と現代の知見を交えて歴史上のあの人を診断します。筆者の専攻は産婦人科感染症、生殖免疫学、感染免疫学。医史学にも造詣が深く著書に『源頼朝の歯周病』『ミューズの病跡学I、II』があります。