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筆者が研修医の頃、病棟修行は先輩医師の書いたドイツ語カルテを解読することに始まった。現在では電子カルテ化の勢いもあり、英語あるいは日本語で書くことが一般的であるが、エッセンやクランケ、ムンテラなどのjargonにドイツ語が残っている。帝王切開を意味するカイザーは医療関係者のみならず一般の方にも有名だと思う。かつて、“開産”という日本語だと信じていた患者さんがいて、噴き出すのを我慢しながら妙に納得したこともある。
◆どうしようもない石頭
さて、日本人にとって未曾有の被害を受けた戦争というと太平洋戦争(京都人にとっては応仁の乱)であるが、英国にとっては第1次世界大戦である。大戦の勃発には多分にドイツ帝国最後の皇帝ヴィルヘルム2世の英国嫌いが根底にあり、英国での評判は甚だ悪いが、その原因となったのが出生時の上腕神経叢麻痺ということは案外知られていない。
ヴィルヘルム2世は1859年1月27日、プロイセン太子フリードリヒ・ヴィルヘルムと、ヴィクトリア(英国女王の長女)の長男として生まれた。引っ込み思案で移り気、自己中心的な少年時代を過ごし、厳しい親元を離れてボン大学に通う頃、ヘッセン大公女エリザベートに初恋を抱くが振られてますます偏屈になってゆく。
1888年、29歳でプロイセン国王およびドイツ皇帝に即位。国家の柱石だった宰相ビスマルクを更迭し、「老いた水先案内人に代わり、朕が新しい当直将校になった」と宣言する。しかし同年代でリベラルだったオーストリア・.ハンガリー皇太子ルドルフは、彼のことを「どうしようもない石頭」と評した。
皇帝は、最も近い親戚である英国王室に対して親近感ならぬ強い競争心を抱き、いわゆる建艦競争を行って第1次世界大戦に突入する。しかし、国力の疲弊とインフルエンザ(スペイン風邪)大流行の影響もあり敗北。皇帝一家はオランダに亡命し、庭いじりをしながら復位の夢を持ち続けるが、元皇帝にお呼びはかからず、失意のうちに1941年6月4日死去する。享年82。
◆分娩麻痺
ヴィルヘルム2世の出生状況については詳細な記録が残っている。陣痛発来後9時間の時点で、英国人侍医ウェグナー博士は骨盤位であることに気付き、ベルリン大学の産科学教授マルチン博士に応援を求めた。マルチン博士は内診で両下肢が挙上していることを知り(単殿位)、これを足位に戻して牽引したところ左上肢が挙上したため、上肢解出術を行い、娩出できたという。彼の麻痺は、頸髄神経C5〜C7の損傷によるErb麻痺というもので、手首から先は動くが肩や肘が動かない。
分娩時に生じる上腕神経叢麻痺は比較的まれな合併症であり、自然に軽快することも多いため脳性麻痺に比べて注目されることは少ないが、重症の場合、患者の発育やQOLに大きな影響を与える。骨盤位では牽引力が首の軸に平行であるため、腕神経叢根を縦方向に剪断し、難治性となることがある。皇帝は生来の障害のため、母と取り巻きだった英国人、特に、無効な電気治療を行った英国人医師を恨んだという。
ヴィルヘルム2世は科学が好きで、カイザーヴィルヘルム研究所(後のマックス・プランク研究所)を設立。アインシュタインなどノーベル賞クラスの物理学者や化学者を多く育てると同時に、医学・薬学研究にも援助を惜しまなかった。20世紀初頭のドイツは、世界に冠たる科学先進国となる。また、ユダヤ人差別をしなかったことから、多くのユダヤ人科学者が優れた仕事をしているが、一方で「黄禍論」を発表して白人優位の世界秩序構築と、日本をはじめとする黄色人種国家の打倒を訴える。公文書で他国民を「猿」と罵った君主は近世では彼ぐらいだろう。
初産の骨盤位には帝王切開が現代の常識だが、カイザーがカイザーで生まれていれば、また違った歴史が生まれていたかもしれない。(早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授、メディカル朝日2012年4月号掲載)
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この連載コラムでは、豊富な文献と現代の知見を交えて歴史上のあの人を診断します。筆者の専攻は産婦人科感染症、生殖免疫学、感染免疫学。医史学にも造詣が深く著書に『源頼朝の歯周病』『ミューズの病跡学I、II』があります。