2011年7月1日
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四万十では、四月には田植えが終わる。
三月の中旬ごろから農家は忙しくなり、田に水を張り、そして大型連休までには田は緑となる。
機械で植えるといっても、隅は機械が入らず手植えになる。「腰が痛い」の訴えが多くなるのはこの時期。「これくらいのことでこんなに疲れるはずはないのに」と、毎年の繰り返す言葉を、診察室で苦笑いしながら聞くことが多い。
「点滴はしてくれませんか」と、診察室を出てゆく間際に、遠慮しながらのお願いを聞くことがある。診察室の椅子に座るなり、「今日は、点滴に来た」との大胆な訴えもある。田植えの終わったこの時期と、稲刈りのあとにこんなやりとりが多い。
点滴中に気持ちよさそうに軽いいびきをかいている人がいる。付き添った家族もそれを心得ていて、「一時間半したら迎えに来ます」と、いったん引き上げる。
「先生のストレスはどうしていますか」と聞かれることがしばしばある。「しょいこまないように。何がストレスかがわかれば八割は大丈夫。手をぬいて楽しくやりましょう」と言うぼくに、切り返すように質問が来る。
ぼくのストレス解消法は、平凡そのもの。一杯やりながら、妻に向かってあっちへこっちへと脈絡のない話をする。話しながらぼくのこころの整理をする。
「話が飛びすぎてついてゆけない。さっきの話とはもう違うことなの?」と、妻が笑う。診察室での聞き役の分を取り戻そうと、ぼくは本当によく喋(しゃべ)る。
炊事をする妻の背中に向けて喋り続けるぼくに、妻の相槌(あいづち)がしだいに少なくなる。もうちょっと声を落としてとか、本当はもっと黙っている男の人が好きとか、この頃ははっきりと指摘される。
「わかった。この頃は講演が少ないからよく喋るのやねえ」と、見抜かれてしまうこともある。そう、講演も息抜きになる。話しながら、自分の気持ちがまとまってくる。会場の人たちと一緒に歌う「赤とんぼ」のしみじみに、自分の毎日が乾いてきているのに気づくことがある。
講演のために列車で移動するのだが、この時間も好きだ。田舎から出るときは、四万十市の中村駅から土佐くろしお鉄道に乗る。これがそのまま、窪川(くぼかわ)駅からJR四国になる。乗り換えはもちろんない。
爆睡するのもいいし、週刊誌を読むのもいい。川柳雑誌の編集を膝(ひざ)の上に広げて悪戦苦闘するのもいい。まとまった時間ができるのが、なんとなくほっとする。
列車に乗ると、学生時代の弘前(青森県)と高知の片道二十四時間の往復を思い出す。宇高連絡船の後部甲板のうどんの味は、今でも忘れられない。
仕事のなかでは、水曜日の外来の診療を終えた時が一番心地いい。午後は在宅の患者さんを回る。直前に訪問する家に電話して、その日の気分でコースを変える。患者さんの状態が落ち着いていると、景色をゆっくり見ながら走る。
介護施設へも月に一回、訪問診療をする。認知症の人たちと、会話の成り立たない大笑いの診察をする。ここらあたりが、ぼくのいい加減さで違和感はあまりない。
やっぱりだんだんといい加減になってきて、ストレスが少なくなっている。白髪のゲリラ医者は、この頃そんなふうに思う。

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。同年徳島大学第一内科入局。77年高松赤十字病院内科。88年同病院神経内科部長。97年大野内科(旧中村市)。2000年同院長。「かかりつけ医としての在宅医療、神経難病、こころのケア」に、「四万十のゲリラ医者」として活動中。02年から朝日新聞高知版柳壇選者。著書に、「いのちばんざい」(高知新聞社)「いのちの仕舞い 四万十のゲリラ医者走る!」(春陽堂)など。