診察室のぼくは、普通じゃないそうな。診療所に実習に来た若い医者や学生が、終わってからそんなふうに言う。自分自身は自然な気持ちで患者さんとやりとりをしているつもりなのだが、他の先生方とは違うと口にする。
「ぼくの外来診療は芸の世界ですから」と答えながら、ちょっとうれしい。長く外来診療を一緒にした看護師さんは「一番の特徴は待ちの姿勢」と、批評してくれたこともあった。
ぼくは沈黙も会話だと思っている。泣いている患者さんに、ひとしきり泣くのがおさまるまでしばらく何もしゃべらず待つこともある。だから、診察時間は長くなる。
沈黙といえば、こんなことも。勤務医のころ、先輩の看護師さんが子宮がんの骨転移のために、別の公立病院に入院していた。「こんなにつらいなら、死んだほうがまし」と、食事を口にしなくなった。心配した看護部の人たちから、自分の病院に帰ってくるようにぼくは説得を頼まれた。
仕事が終わって、夜に訪問した。テレビがついていた。名前を呼ぶと振り返った。「みんなが心配しているよ。帰ってきませんか」と言うと、くるりと拒絶の背を向けた。それから四十分は経っただろうか、やっと振り向いて、「先生、まだいたの」との一言から自分の病院への転院の段取りが決まった。
ぼくはせっかちに診療所の通路をスニーカーで走っているのだが、こころの相手をする時には、ねばっこい。言葉をかぶせてはしゃべらないし、さえぎることもよっぽどでないとしない。
金曜日の夕方、中学三年生の女の子が母親と一緒に診察に来た。受験勉強に乗り切れず眠れないと、問診表に母の字があった。名前を呼んだら、ふたりで入ってきた。母に向かって「出ていってよ!」と子どもが腹立たしそうに言う。「おっ、いいぞ」とぼくはこころのなかで拍手する。いろいろ話したあと、リストカットの痕を見せてくれた。元気も落ちているが、エネルギーの持って行き場がわからないこころのようだった。
後日、母親と面談した。「いろいろ話してくれました。思春期の大揺れの真っただ中は大変でしょうね。期待しすぎないで、元気になるのを応援しませんか」とゆっくり話をした。母親は涙を見せていた。
最近、うまくゆかぬ夫婦の話が続く。「もうちょっと待ってみよう。関係はゆっくり変わってくるから」と、結論を急ごうとする若さへ「気持ちはわかるわかる」と言いつつ、やんわりと受け答えする。
待つことは、津軽の六年の雪が教えてくれた。どんなに騒いでもあせっても春が来ないと雪はやまない世界は、南国育ちのぼくには大きな体験だった。
こころは理屈では変わらない。説得では、長続きする変化は生まれない。子どもも夫婦も、大変さのなかでゆっくりと自分の中に生まれてきた気持ちだけが自分のものになる。
四万十には靄(もや)が出る。朝、新聞を取りに玄関を出るとすぐ先が見えないほど川からの靄が流れてくる。仕事を始める時刻には、その靄はもうきれいに晴れている。
こころも一緒。自然のままにもう少し待っていたら、そのうちに何とかなると信じている。舞台は回るのだ。
【よろず相談室】
Q 社会人1年生の娘が、仕事がうまくいかないらしく、すっかり自信をなくして悩んでいます。なにか元気になれるようなアドバイスをしたいのですが、小笠原先生のお知恵を拝借できませんか?(51歳女性)
A 3カ月乗り切って、ペースをつかんで
「初めてのことは誰もできない」、看護師さんの新人研修会でいつもこう言います。2度目のストレスは1度目の半分、3度経験したら、あとはなんとでもの世界になります。緊張するのは当たり前、慣れたらなんでもないことがあります。いっぱい聞いて、いっぱい明るく叱られてがお勧めです。何でも、3日、3週間、3カ月が一区切りです。3日はどんなことでも辛抱できます。3週間は息を詰めていたら、なんとかなります。3カ月を乗り切ったら、息を抜くペースがわかってきます。そして、疲れるばかりの毎日で自分らしさを無くさないようにも気をつけて。
(朝日新聞発行の小冊子「スタイルアサヒ」2012年11月号掲載)

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。同年徳島大学第一内科入局。77年高松赤十字病院内科。88年同病院神経内科部長。97年大野内科(旧中村市)。2000年同院長。「かかりつけ医としての在宅医療、神経難病、こころのケア」に、「四万十のゲリラ医者」として活動中。02年から朝日新聞高知版柳壇選者。著書に、「いのちばんざい」(高知新聞社)「いのちの仕舞い 四万十のゲリラ医者走る!」(春陽堂)など。