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広島の声

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増村幸子さん 直接被爆・距離2km(二葉の里)
被爆時12歳 / 東京都小金井市2124

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  忘れられないこと
 自宅は爆心地より700mにあり、その時両親、中学3年の次兄、生後間もない妹が自宅 にいました。私は勤労奉仕で芋畑(東練兵場)で農作業中でした。

 ピカと同時に父と兄は倒れた自宅の下敷きになり、父は何とか自力で抜け出す事が出来 ましたが、すぐそばにいる次兄を助ける事は出来ませんでした。母と妹は縁側にいたので 全身大火傷を負い裸同然で、逃げる事は出来ました。父は瓦礫の中から辛うじて抜け出す ことができましたが、次兄は家の下敷きになり、父の手が兄の頭に届きながら、兄を助け ることができませんでした。熱線で瞬時に近所のあちこちから火の手が上がりました。次 第に火が迫り、熱くて居たたまれなくなりました。
 兄に覆いかぶさっている大きな柱や壁は全く動きませんでした。父はあらん限りの声で 助けを求めました。

 「お父ちゃん、熱うなった。もう駄目じゃ。早う逃げてお母ちゃんを助けてあげて!! お父ちゃん早う逃げてくれーっ!」
 「ごめんよ、ごめんね!!こらえてくれーっ!」
 兄の絶叫を耳にしながら一歩、一歩後ずさりし、火をかいくぐって近くの川迄逃げまし た。土手から振りかえると、自宅一帯は猛火が渦巻いていました。焼けた隙間から、火傷 して逃げて来るのではないか、これは夢じゃ、こんなことがあるはずないと、自宅の炎を 見続けました。どれ程経ったか、やがて燃えつきました。このとき父は頭や足に大きな裂 傷を負っていましたが、気づきませんでした。

 父は奇跡的に助かり被爆後8年に慢性骨髄性白血病で亡くなりました。
 父は20年秋焼け跡にバラック小屋を建て中支にいる長兄の帰国を待ちながら、疎開して いて無事だった弟と私の3人で暮らし始めました。隣近所のあちこちに白骨があり、拾っ て自宅に安置していました。誰一人いなくなったので、白骨がいとおしく、恐くありませ んでした。お骨の主は焼跡からほゞ推定出来ました。

 21年初夏に長兄の戦友が訪ねてこられました。3月、中支からの帰国船中で長兄が戦病 死し、博多沖で水葬にされたことを知らされました。父は長兄にすべてを賭けていました。 その長兄は中国で広島の惨状を知り、広島に帰っても迎えてくれる家族も落付く家もない と絶望し復員船に順番が来ても乗らなかったが、3月の便が最終船だったので乗船し、博多 沖で、栄養失調により亡くなったとわかりました。
 父は最後の希みを長兄にかけていましたので更に絶望しました。私は無惨な死を遂げざ るを得なかった母、妹、二人の兄達の無念さもわかりますが、それ以上の父の哀しみがわか ります。生きながらえることへの申し訳なさ、弟と私を育てる事の責任、一人ぼっちの淋 しさを今思うと、父がいとおしく「ありがとう、もう自分を責めないで、安らかにお眠り 下さい」と心から祈っています。

 母と妹は全身大火傷でその夜、父、私、姉に看取られて亡くなりました。翌日姉と父が 焼跡で真白になった次兄のお骨を拾って帰りました。
(2010年修正)

 この手記は女学校の被爆記念文集を出すに当たり初めて被爆について書いたものの一部です。
 手記は被爆による増村家の崩壊を書きました。被爆二世の息子は20代で甲状腺機能低下になり、今は上限ですが、数値内に治まっています。4年半前42歳の時、くも膜下出血で倒れました。心肺機能停止で重篤に陥りましたが奇跡的に生還しました。これらの病気は被爆による医療費助成対象の病気です。しかし脳に重度の後遺症で身体、精神に障害があります。身体は大分良くなりましたが、記憶、言語、注意、遂行など多くの障害があります。高次脳機能障害です。(先日東京朝日ホールで貴社主催の勉強会があり、参加しました)
 私だけでなく次世代の息子にまで被爆の影響が出たのでしょうか。私だけなら未だ良い、有能な彼の人生まで崩壊させるのかと原爆の怖さを今更ながら実感しています。
 又戦時死した長兄は中国で広島の惨状を知り帰国しようとしませんでした。
 病身を横たえる場所も、温かく迎えてくれる家族もなく、たった一人だと思い絶望して亡くなり、日本海で水葬にされました。21歳の兄の遺骨や遺品はありませんでした。空っぽのお墓です。

 原爆や戦争で死んだ家族へ鎮魂の気持ちで書きました。気にかかっていたのでほっとしています。
 増村家の崩壊から再生へ、老いた私の課題です。息子が、生きていて良かった、私の子で良かったと思って欲しい。高次脳機能障害者が社会のなかで役割を果せるような社会を願っています。今息子と二人で住んでいます。何代にもわたる戦争の残酷さ、無意味さを改めて考えます。

 平成22年3月12日
(2010年追記)