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広島の声

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山口敏人さん 直接被爆・距離2km(二葉の里)
被爆時19歳 / 広島県三原市5578

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  (1)思い出す儘に列挙します。班長寺田軍曹が自室の席のあったところで白骨になっていた。 衛門のところにあった松の木の上へ飛ばされ軍衣が破れ皮膚が破れ、息絶えていた大 塚上等兵。道路に叩きつけられて幼な子を抱いたまゝ息絶えていた母と子。側溝へ打ちつけ られ死んでいた幼年学校生。営庭の砂の上に寝かされた兵士。営庭一杯の負傷兵。頭の 皮膚を半分剥ぎ取られ頭蓋骨が見えていた兵士。無意識の中に歩き回りパタッと倒れる 兵士。腹から背に穴があき息の度にゼーゼー音のする兵士を輜重車に乗せ縄でしばって 落ちない様にして三滝の病院迄運んだこと。額が裂けた娘さんが「私の顔どうなってい るかしら」と気にしていたこと。全身ガラスの破片がささり宇品から双葉の里まで逃げ て来ていた婦人のこと。陸軍病院から六部隊の土手に迄飛ばされ焼死していた看護婦さ ん。

 ニ部隊の前で負傷した兵士、負傷していない兵士もその場を動くことなく水水水と 水を求めていたこと。厩舎の中で焼死した馬。真上から踏み潰したようにペシャンコに なった広島城。焼け爛れた電車。焼けた福屋の中の数え切れない負傷者。異様な臭い。 声で本人と判るが顔がはれ上り別人の様になった浜本曹長。裸で作業をしていた人々の 皮膚が火傷で破れボロ切れの様に垂れ下がった姿。伏せていて立ち上がった時に焔に 包まれていた東照宮。兵士の遺体を火葬した累々と重なる「どくろ」骨の山。月光に 照らされた異様な情景。入市被爆で治療法も医療補償もない儘無念の死をとげた父の姿。 吾が子の安否を尋ねて島根県から来たという(歩いて)母の「あゝやっぱりだめでしたか」 という言葉と顔。

 B24爆撃機の乗員だった五名の兵士。確か8月7日だったと思う。午後も遅く2 名の日本兵に連れられ、飛行服姿で負傷などなく元気で歩いていたのを見た。夕方に なって未だ20歳にもならない童顔のアメリカ兵が焼けたトタンの波板の上に裸で死 体となってザラザラと音を立て乍ら2人の日本兵に引かれていったのを見た。被爆死で はなく原爆を落とした為に殺されたのだと思う。

 (2)むごい、苦しかっただろう、残念だっただろう、ただただ冥福を祈るのみ。

 (3)戦争のない世界は現状では望むべくもない。無理の様だが核兵器の廃絶に向かって努 力してほしい。原子力発電の放射能についても認識を新たにし、事業に携わる人の一層の 安全への努力を望む。
(2005年) 。