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林寿代さん 直接被爆・距離1.5km(横川)
被爆時17歳 / 東京都豊島区444
被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。
(1)ゴーと云う閃光と共に家が倒れ私はその下敷きに。そして目の前真暗になり一瞬もう
駄目だと「ナムアミダブツ」とお念仏を唱えた事。それから暫く気を失って居て、きがついて
ガレキの下からやっとはい出した時にはあたりには誰1人居なくて助けてー声があちこちで
聞えました。火の手がせまって居て、火の海の中を逃げました。よく命が助かったと思いま
した。助けてーの声を聞き乍ら自分丈逃げのびた罪悪感を今だに思い出します。
(2)妹が女学校1年で学徒として、爆心地の元安橋附近で被爆しました。先生を始め1人
として消息がわからず救護所を、どうぞ「生きて居て」と祈り乍ら随分探して廻りました。道
端に並べられた黒く焼けただれた死人の目をおおいたくなる様な姿。又救護所の焼どで赤く
ただれたりひぶくれでヒリヒーイうなっている人等、悲惨な生地獄のさま等、妹はどの様にし
て此の世を去った事か? 目をつぶると今でもはっきり浮んで来ます。どうぞ安らかに浄仏し
て下さい。
(3)核兵器は人間が作った物です。許せません。唯一被爆国である日本が非核三原則
(造らず、持たず、持ち込ませず)を国が実行して、核兵器完全禁止、全世界が非核非武装
化にむけて積極的に努力して頂き、そして世界平和へと。心から願って居ります。
(2005年)