english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

広島の声

三宅大悟さん 直接被爆・距離2km(荒神)
被爆時14歳 / 埼玉県春日部市6003

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.私は被爆後、広島市二葉山の東照宮に逃げ、軍人と一緒に多くの被爆者に水を与えた り、亡くなった人達を荼毘にふしたりしましたが、今でも忘れられないのは、軍医から、 背中にヤケドをしている者には助かる見込みがあるから、水を飲ましてはいけないが、 腹部をヤケドした人は、どうせ死ぬのだから、水を飲ませてやれと命令され、水を飲 ませると、「ありがとう」と感謝されたが、直ぐ亡くなったこと。又、死ぬと思われる人には、 身体に荷札をつけ、住所氏名を書いておけと命令され、死ぬと直ぐ多く の被爆した人の前で荼毘にふしたこと等は絶対に忘れることができず、今でも夢に見 ることがあります。
 2.一緒に被爆運動をしていた広島、長崎の友人達が多く亡くなり、今度は自分の番かと いう思いを何度となく感じました。
 3.急性被爆者障害後、私は昭和25年頃、肺結核を患い、昭和30年には白血球が20 00以下になり、体がだるく、血圧が180−110にあがり、その後、胃かいよう を患い、更に平成元年には咽頭ガンを手術、更に一昨年には脳梗塞を患うなど、ずっ と病院とつきあっていますが、この様に被爆すると被爆時の傷害は勿論のこと、死ぬ まで色々と病気に苦しめられます。このことを次世代の人達に訴えていきたいと思い ます。
(2005年)