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広島の声

男性 直接被爆・距離1.5km(西白島)
被爆時19歳 6141

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  上司の兵隊2人火傷で頭と顔が倍位いにはれたのを戸坂村へ連れて行った。医師に白い 薬を付けて包帯でまかれて目と口の処を空けた。見たり食べたり出来る。一晩農家に泊ま り、翌日は中国114部隊へ帰り復員した。その後どうなったか気がかり。医者 はお話しで聞いて承知した。大尉を連れて小郡迄ついて行った。外見は普通だが、良く分 からないが実家に帰ったと思う。悲惨な事は部隊から外に出て戸坂村へ行く途中、上半身 裸の兵隊が仰向けで40人程度皆火傷で死んでいた。

 又、戸坂村の小学校が天幕で陸軍病院 になっていた。この校庭での負傷者の火傷を痛がりもせず、転げ回って、殺してくれ、水 をくれと喚いていたのが忘れられない。勿論、亡くなったと思う。当日は前日の空襲警報 で退避して防空壕に入っていた為、6日の朝は1時間起床廷期になり8時15分は兵舎内で 被爆、爆風により倒壊し直ぐ脱出した。屋外であったら火傷と爆風で死んでいたと思う。 一日中下敷の戦友の救助に従事した。声がなくなって作業場へ移動して、市内が火災で燃え ていた。東京大空襲の時の様だった。良く火事にならなかったと思う。

 復員は9月27日で海田市から八本松駅迄列車不通で歩かされた。汽車の尾燈が見えた のに間に合わず出てしまった。次のは無蓋車の貨物車で岡山の祖父の家へ戻った。通信手 段なく突然帰ったのでユウレイと思われた。それから葉書を出して父に知らせた。父も 1.5月も過ぎての生還なので喜んだ。
(2005年)