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広島の声

女性 直接被爆・距離2km(己斐)
被爆時22歳 7202

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.私は当時己斐国民学校、児童そかいで、田舎の方に行き校舎があいたので、半数の者 が分散の為の校舎で事務や仕事をしていました。中隊長とか上司の方々は、運動 場に面した窓側の方、私達は土間がり、ローカから入ると入口でいました。

 ピカッー、ちょっと間を置いてドカーンと、それはカミナリの様でした。上司の方は皆んな ガラス、火傷と大変でしたが、全員タイヒの命令でしたので、防空ズキンをかぶり、 油の様な雨が5分間ぐらい降りましたが、防空ゴウまで走りました。ガラスのハ片 で足を切っておりましたが、たいした事もなく、自分の救急手当でよくなりました。 山の手なので、皆んな火傷の人で多くの人がこられました。ビックリしました。それは 言葉には表す事は出来ません。今でもお姉ちゃんお水ちょうだいと学徒の声が耳か らはなれません。お水をあげると亡くなられた人も数人です。私もカンパンとコン ペイトウを持っておりましたので、それで何んとか。
 翌朝校舎へ行ってビックリ、死んだ人の上にかさなる様に亡くなられた人ばかりです。

 何時も今元気と言っても痛 い処ばかりですがお医者さんのおくすりと治療で暮す事の出来ます事を幸に思って おります。
 此の様な惨事が二度と起る事のない様に核兵器の廃止を訴えます。私は宇品陸軍 糧株支廠が勤務でした。当時22才でした。
(2005年)