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広島の声

松田肇さん 直接被爆・距離2km(松原)
被爆時19歳 / 広島県三原市7262

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は昭和20年6月終戦直前、安浦にあった海軍機関兵として召集令状が来ました。当時国 鉄糸崎機関区機関助士として蒸気機関車に乗務していました。当時機関車乗務員も多く軍 隊に取られ、私も安浦海兵団に7月入隊通知が来た。国鉄当局も乗務員がこれ以上軍隊に取 られると列車の運行に支障が出ると軍司令部に入団延期の申請をして呉れ入団延期となり、 8月1日入所の広島鉄道教習所第59回機関士科へ入所直後8月6日の原爆に被爆。

 教習所 の朝食時間、直ちに機関士科の生徒は広島駅が延焼中だから救援活動命令により徒歩で広島 駅まで行き、途中多くの被爆者の方の半裸体の負傷者の行列。川の中の死体。道路端の水を 欲しがるこの世の生き地獄を見た。4ヶ月間の教習期間修了後、被爆当時機関士科の新入生 20数名糸崎機関区で話し合い、被爆当時入所していた人の被爆者健康手帳の申請。全員相互保 証で手帳入手。

 数年後、国鉄に被対協を組織し被爆者対策の活動を提起し、組合当局に話し かけ岡山鉄道管理局館内に動力車労働組合主導の被対協を岡山市駅前桃花園旅館で結成大 会。管内200名位の組織を先ず編成。活動内容として当局に対し管内の被爆者の実態調査、健 康調査、就労状態その他要求を実現させ現在三原市原爆被害者団体協議会へ入会し、一昨年 迄会長代行で三原に原爆慰霊碑建立を会員一同の総力結果のお陰で規模は小さいけど行政 も協力し、二世の会も組織し、私は体調を崩し前面に出られないが、いつまでもこの運動の永続発展を祈念しております。
(2005年)