english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

広島の声

女性 直接被爆・距離1.5km
被爆時14歳 9695

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は女学校2年生で学徒動員で兵キしょうに通う途中電車の中で被爆、やっとの思いで 家に帰えろうとすると橋巾全体に丸ヤケドの人達で帰えれなく、その内黒い雨が降って本当に今思いますと恐ろしくなります。

 けがをした両親に一週間位のちに逢い、家は焼けた事を知りました。妹小学校6年生、 弟5年生はやはりけがとやけどで二日のちに避難所で逢い、小学校1年生の妹は学舎の下 じきになり焼死。3才の弟は家の軒下で丸やけどで亡くなりました。(このことはのちに両 親から聞いたことです)

 私もいつの間にか高令者になり被爆当時の事を思い出すと涙が出て恐ろしくなります。(私 自身一生けんめいがんばって来たせいか明るい性質になれません)
 これからは戦争のない平和で助け合っていけるかしこい人になってほしいです。
(2005年)

  被爆当時、女学校2年生14才でした。被爆者は敬遠の目で見られ結婚もおそく、でもおかげで五体満足の息子を二人さずかりました。年月がたってもいまだにへん見のめで見られます。当時焼けあとにバラックなど建てられた方はガスを吸って亡くなられています。本当に恐ろしい武器です。戦争のない平和な世界を祈ります。

 お亡くなりになった方に申し訳ありませんが、丸やけどの方が橋いっぱいに渡ってこられる様子は言葉ではいいあらわせない光景でした。三才の弟も丸やけどをおい、母にだかれて川の中に避難したそうです。お水がほしかったのかブーブーと云って川の水をのませてそのまま亡くなったそうです。
 一年生の妹は朝食のフカシパンを学校から帰っていたゞくと云って半分残し本箱の上に置いたまま小学校で亡くなりました。本当に可愛い二人でした。

 原爆投下前は母親達が着物などをお米とかさつまいもに交換して私達子供にあたえてくれていました。感謝いたしております。今までの戦争のつらさを無駄にしないで戦争のない平和な世界をきずいてほしいです。
(2010年追記)