english

ここから本文エリア

  • 閲覧上のご注意

広島の声

女性 直接被爆・距離1.7km(南三篠)
被爆時14歳 9741

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  B29の飛行機の蚊の鳴くようなかすかな音が聞こえました。走って廊下に出ました。東 向きの廊下は太陽の光が一ぱいにあたっていました。飛行機の音に引かれて空を見上げま した。しかし何も見えませんでした。快晴の青い空、目を正面のお庭に向けた瞬間でした。 大・中・小の青・白・赤の閃光がにわか雨の様に降り続きました。「アッ爆弾が落ち た」と思って、後を振り向いた瞬間、廊下の障子がいっせいにメラメラと燃え上がってい ました。私の着ていた服が燃えました。一所懸命脱いだ気がしますが次の瞬間は何も覚え ていません。

 何時間何分経ったかわかりませんが人が倒壊した家の下敷になっていました。 八畳を三部屋飛ばされて台所の二階建ての下敷きになり梁の下に腰がはさまれていました。 身動きできません。倒れた家の下から祖母のうめき声と、牛ガエルのような、すごいうめき声が交互に聞こえ、パチパチと板の燃える音が聞こえました。「助けてー」と一生懸命叫びました。
 しばらくすると捜がしている姉の声と、警防団に助けを求めている声が聞こえました。兵隊さんが5人位来てくださいました。足の方から燃え始めたようなので、それはそれは恐怖と 痛さに朦朧としていました。救い出されて兵隊さんの背中で気を失ってしまいました。

  一日経って気が付いた時は土手の下で草を枕に寝ていました。兵隊さんの心遣いか破れたトタンが被せてありました。トタンをようやく払除け廻りを見ました。死体がふくれあがって私にすがり付いていました。沢山の死体です。「アッ地獄に落ちたのだ」と思いました。しかし、座る事も立つ事も出来ません。このまま死体の中で肩を並べている恐ろしさがこみ上げました。

 そこで伏せって腕だけで道路の方へハイハイして脱出しました。道路には幽霊のような姿でモクモクと人が歩いていました。今にも倒れそうな人ばかり。私は生きているの か、死んで地獄にいるのかわかりませんでした。伏せったまま何時間か寝てしまいました。 姉の叫ぶ声に目が覚め、父親の背におわれて河川敷の防空壕に入りました。それから10月頃まで座る事も立つ事も歩く事も出来ないまま、足のやけどにはうじがはうし、下痢、脱毛の悲痛な暮らしが始まりました。14才の少女の悲しを話す事が出来ません。涙が流れて苦しいです。

 今は74才になりました。これまで腰の手術、子宮の手術、甲状腺の手術、肺の手術、 白血病の手術と次から次から切り取って生きて来ました。生かされているのかもしれませ ん。こみ上げる涙の中に思うことは戦争はいけない。いかなる戦争もいけない。心の叫び はこれだけです。戦争はいけない。
(2005年)

  一般社会の人に被爆した事は云わないで、皆様と一緒の気持で一所懸命に生きております。どうぞ氏名は公開しないで下さい。今も原爆の事を思い出しますと、恐ろしさに心も身体もふるえて、胸がしめつけられて苦しいのです。被爆の事は涙が流れて話す事が出来にくくなりました。精神を病っているのかもしれません。娘時代に被爆者とひそひそと云われた、その事が目の奥に焼き付いて離れません。どうぞこれ以上はお許し下さい。
 私の思いはただ一つ戦争はいけないという叫びです。
(2010年追記)