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広島の声

男性 直接被爆・距離1.6km(比治山)
被爆時13歳 / 広島県大竹市9908

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  比治山から東練兵場(新幹線のり場あたり)まで逃げクローバーの上に座りこんだ時、 ツバメは丸くなって死んで居ったが、スズメは茶色なのでバタバタ羽を動かしていた。京 橋川の鉄橋を渡る時、貨物列車が脱線し玉ねぎがバラバラ川へ落ちていたこと。

 長束あたりを逃げる時、真黒い雨が降って来て、その中に巾1cm×5cmぐらいの銀ぱく が多数まざっていた。電波防害の為と思う。
 草津から電車に乗り廿日市へ着くまでバタバタ倒れて足の踏み場がなくなって仕方なし に廿日市でおりたこと。
(2005年)

  S20.8.6広島市比治山町電車通りでヒバク。爆心より1.6Km(手帳は1.5kですが)。 それより広島駅までは火の海の中をトタン板を片手に広島駅裏までにげました。最後に大竹駅につき、かえろうとすると母親が大八車を引いて迎えに来ていました。死体は誰かわからないので迎えに来てとのこと。それを受取る為、京橋川の鉄橋から本川の鉄橋までは左右とも火の海で白島中が燃えよって居りましたが線路は燃えていませんでした。

 長寿園まで行きましたが、本川の鉄橋は真黒いけむりと赤い火の為渡ることは出来ませんでした。工兵橋あたりで舟をうかべて市内へ行った息子さんを待つ人に長束までのせていたゞきました。私の一人むすめが21.3.10甲状腺の病気で死亡しました。闘病生活10年以上でした。
(2010年追記)