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広島の声

女性 直接被爆・距離1.5km(比治山)
被爆時22歳 / 広島県呉市13275

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  今後戦争をしないと固く誓ってください。家族の死により苦るしい生活、淋しいくらし、 たすけてくれる人もない。家はくずれ、ガラスもない、食べる物も着る物もない。こんな 悲しい思いは子供達に味わせたくない。日本は世界一の友好国であってほしい。

 アメリカをうらむ心は根強くある。天災も人災も人間としての心が失っているから天 からのバツがあたえられると思う。アメリカ国よ今に大きな天バツ有りと思います。
 日本人の本来の心に立ちかえりたいと思います。
(2005年)

 爆心地から2Kはなれた山でした。又B29がとんでくるかわからんと姉の子供を連れておばの居る千田町にヒナンしておりましたが、ドンという音にたまげころんで頭をけがして血が首にながれ、そのまゝイシキナク3時間位立って人に起されて家に帰りましたが、母がよう帰ったのーよかったと喜んでくれた。

 宇品にあった県民病院に父さん帰ないからさがして来てと母に云れて病院に行きましたら、芝布の広に庭はやけどで子をよび親をよび生地獄のような有様にさがされず、女学生の女の子が赤い薬をぬる人白い薬をぬる人ありで見ておれない。私を薬をぬってもらおうと思ってもより付ない。私どころでない人ばかり。泣乍ら帰りました。

 途中で友達にあいましたら首のまわりと腰のあたりが一すじついてるだけの真裸で帰ってる姿におどろきました。お母さんお父さんらしい人はおらんから帰ったのよと申ました。妹のアサコはまだ帰らんのねと言ますと、帰らんのよ、生ていれば帰るだろうからといえに上ろうと思うと家をま違ったのかと思う程ガラス戸一枚なく屋ねはくずれ見るかげなし。形だけのこった家にかやをつってタタミがあるからまだ良いよ。ねる所のない人が多い。だからまだよいかと思うよ。7軒ある小さな部らくなのが若い人が皆死んで年よりがのこり、おくやみを言う事にも気毒で泣乍らでした。

 私の妹は19才で待っても待っても帰らない。電話局につとめていて朝のこうたい時間を屋上でフキンでトバサレたのだと局員さんの云われた事に、母や姉とどれだけないた事でしょう。アメリカをうらんでもうらみ切れない。何十年立っても平和公園に行って朝子チャンあいに来たよとムセビ泣します。
(2010年追記)