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広島の声

石原光枝さん 直接被爆・距離1.5km
被爆時19歳 / 島根県邑南町6700

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  60年と云う言葉を聞くと、すぐに原ばくを思い出します。私は丁度若き19歳の花も満開 の頃。楽しく広島電鉄の市内バス車掌で毎日楽しい時代でした。
 今は(老母で)80才になりました。
 身体には病気で通院を繰り返しながら毎日を送ってます。昔の頃が懐かしい。涙が出て来ま す。

 次々と色々な想い出があります。車のステップに立ち大きな声で歌をうたい(パンナというハサミでぱちぱちと)切符を切りお客様には笑顔で親切に声掛けていました。ステップを降りる時は優しく手を貸して上げ喜ばれた事も度々でした。
 自分はこんな事してよかったと何度も想いました。

 戦争中故遊んではいられません。(年老いた)父母を助けるため何かせねばならない。友人に勧められて車掌になりました。毎日楽しい日ばかりではありません。(運転手)さんに気兼ねしながらのお仕事です。でも人間こちらが頭を下げてやれば相手もよくして下さいました。
 今も鷹の橋で下敷になった時の(かんとく)さん、兵隊帰りの人(新運転手さん。もう昔に死亡されました)二、三度島根より広島までお礼に行きました。ほんとに懐かしく今も涙と共に書きました。本当にありがとうございました。
(2005年)