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広島の声

男性 直接被爆・距離1.3km(荒神)
被爆時12歳 12517

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  1.・自宅の窓のそばにいた時、外が真白になって色のない景色になった瞬間の驚きと、そ の1〜2秒後の爆風と家のくずれの下敷きになって、自分はすでに死んだ状態にあると感じた時のこと。

 そして中山峠に避難して真夏の太陽の下を歩いていたときの行列となって逃げる人、又 人、そして道端に横たわるケガをした人々。顔が風船のように丸くなって苦しんでいる人 など想像を絶する恐ろしい光景に出会ったときのこと。

 ・多分10日頃だったと思うが、市内中心地(袋町)付近に住んでいた唯一人の伯母を探し に行った時、途中の焼けあとの死体や福屋デパートの真黒い中の光景、そして伯母の家 を探すのに炎暑の中、仲々場所が判らず苦労してやっと井戸を見付けて伯母の家の焼けあととみて、遺骨を探したが見つからなかった時のこと。
 ・原爆症の叔父に輸血したこと(献血)。
 広島は75年間は草木も育たないと云われて、非常に不安な気持で修道中学まで通学したこと。(1年後に山口県に転校)

 2.小学生時代からの同級の親友5人の内3人が死んだ。友のことは今も忘れられない。(被爆時は中学1年で、疎開のあと片付けに行っていた3人は死亡)

 3.戦争は勝者も敗者も殺人と死者がでる最も悲惨な非人間的行為である。核兵器は最も残酷な兵器であり、人間として許されざる無差別大量破壊兵器である。そして必ずや人類 滅亡へと導く狂気の兵器である。
(2005年)