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広島の声

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奥田ヒサコさん 直接被爆・距離2.5km(愛宕)
被爆時24歳 / 広島県呉市9201

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  広島の原爆については、いろいろな人の手によって記録が書かれ、詩に歌われ、絵画に 描かれ、映画も作られましたが、そのいずれもが、私達、直接原爆を体験したものから見れ ば、実感とはほど遠いもののように思われます。それ程その惨状は人間の想像力や表現能 力を超えた非人間的なものであったということができます。
 連日の空襲に、いつかは広島も同じ運命に見舞われることを覚悟しながらも、どこか心 の底にそれを否定していた私達は、夢にもあの日の惨劇に会おうとは思っていませんでした。 8月6日午前8時15分、この時を境に地上は地獄となってしまいました。
 原子爆弾の洗礼を受けた私達は、もう二度とあのような悲惨なことが、この地球上で起 ってはいけないと思います。すべてのものが一瞬にして無になる核の恐ろしさ、又、残 留放射能のために60年たった今もなお消えることのない、苦しみ、悲しみ、乾くことのな い涙、不安、無用な差別。地球上の平和を守るために核の恐ろしさを、核を所有している 国々に訴えていかなければならないと思います。
(2005年)

  広島市愛宕町59番地の家の中で被爆、爆心地から2.5km。
 家の前の道路はその当時は国道2号線です。
 2.5kmの地点でも、道路の両側の家の屋根から瓦がずり落ち、電線はたれ下がり、道巾は、半分位しか使えなくなっていました。9時から10頃になるとその道を、身体も衣服もぼろぼろになった人々が、郊外(東の方)に向って避難されていました。歩けない人はトラックに積まれて、どんどん避難される様子は、今まで見た事のない光景でした。何が起きたのだろうか。
 不思議で不思議でたまりませんでした。敵機は、1機か2機で「空襲警報」も解除になっていました。
 爆心地から2.5kmの我が家でも、硝子戸の硝子は粉々にくだけ、箪笥は倒れ、柱時計も棚の上のラジオやいろいろの物が落ち、部屋の中は、おもちゃ箱をひっくり返したようでした。

被爆時21才
被爆地 広島市愛宕町
爆心地より2.5km
(2010年追記)