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広島の声

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吉村克隆さん 直接被爆・距離4.1km(南観音)
被爆時14歳 / 長野県軽井沢町8583

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。 1.私は当時中学三年生で三菱重工の観音工場に学徒動員されていました。横川一丁目の 避難場所である山手町安芸女学校北の川岸の空き地で見た悲惨な光景です。
 私の母は出血の為失神状態の弟を抱いていましたが、母自身も出血で放心状態でした。従 妹も大腿部に骨まで見えるほどの大怪我で横たわっていました。私達の近くに中学生と 思われる姉妹が全身焼けただれた姿で姉が妹のひざを枕に横たわりすでに虫の息でした。
 当日爆心地付近で市内の中学生1.2年生8,200人が建物疎開の作業に動員されうち 7,300人が亡くなったと聞いています。2人は助け合いながら地獄と化した1kmを逃げて 来たものと思われます。妹が時々声を掛けていましたが姉はうなずくだけでした。雨が降り出したので 山芋の蔓を屋根替りにかけますと妹がかすかに聞える声で「ありがとうございます」と言いました。
 それ以上どうすることも出来ませんでした。水も欲しがらず助けも求めず立派な2人でした。その夜の 内に亡くなりました。2人は素晴らしい姉妹愛で結ばれていました。今でも思い出と涙が出ます。 ご冥福をお祈りします。

 2.8月7日、父と祖母、叔父一家を探しに出ました。祖母は叔母の家の防空壕の中でなくな っていました。叔父一家は叔母は下半身焼け残り3才の女の子は近くでお骨になって いました。
 叔父は工場の事務所に居たはずですが当日は見つかりませんでした。5才 の男の子は近くの家の勝手口より入った処につりズボンのボタンが4つ並び、真中にお 骨がつぶされた様に固まって居りました。ただ1人柱にはさまれて立った状態で焼死 したと思われ可哀そうでした。叔父一家は全員なくなりました。

  3.紛争、戦争は今後も絶えないと思いますが、核使用だけは絶対に避けなければなりませ ん。一瞬にして数10万〜数100万の人達の死は人類の滅亡につながります。
(2010年修正)