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広島の声

女性 直接被爆・距離3km(大洲)
被爆時16歳 7222

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  私は当時、16才。学徒動員で旋盤工として広島駅近くの工場で働いていました。兵器の 部品を作る工場でした。深夜も含めて三交代でしたが暫らくして私は体をこわし3カ月休 養したのち事務要員として復帰していました。
 8月6日は月ようで電休日だったので 自宅でゆっくりとして寝床の上で着替えをしている最中でした。ピカッと光ったので反射 的に寝床に伏せ、窓を見ると夕方のように薄暗くなったと思うと次は真赤になり一瞬の中 に壁が落ちて来ました。特に驚いたのは表に吊ってあった竹スダレが私の顔を越して数本、 後にある戸棚に刺さっていました。私が伏せなかったらそれは皆体に刺さっていたと思 うと急に怖くなって来ました。

  私の家は国道の近くでしたからその方へ行って見ると体中 ケガをした人がぞろぞろ逃げて来ていました。誰も無言でした。それが原爆とは当時は誰 も知らなかったわけですが、その内容が次第に分かるにつれてそれを許す事が出来ない思い は深くなるばかりです。前夜、手を振って別れた私の友人は50数人、建物の整地作業にか り出された1年生は当日休んだ数名を残して全滅。クラス会も出来ません。
 現在の核兵器は広島型の何千倍ともいわれる強力なものであり、大国といわれる国には勿論、国民がうえている国まで核を持とうとしています。
 私の姉はガンで一生苦しみ最後は骨ガンになり足を切断しました。生きる望みを捨てず一生がんばった。彼女の火葬にされた遺骨はくずれてほとんどなく、足に埋められたチタンの棒だけがしっかり残っていたのがとても悲しかったのが忘れられません。核兵器を許しません。
(2005年)

  奈良の小学校は修学旅行に広島に行っています。その事前学習として幾度か原爆の話を してきました。でも今は殆ど行っていません。原爆が風化してしまう、その被害と怖さが 忘れられてしまう、という思いを感じます。今そのエネルギーが当時のものの何千倍とか きくと本当に怖いと思います。協力出来ることがございましたら是非させていただきたいと 思っています。
(2010年追記)