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広島の声

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山口昇さん 直接被爆・距離5km(段原)
被爆時15歳 / 東京都町田市5681

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  砂の墓標 生死を分けた比治山の光と影
 轟音とせん光。それは一瞬にして広島市民の生 と死を分けた。あの日、昭和20年8月6日午前8時15分、学徒動員の私は比治山裏の 陸軍兵器廠へ着き、ちょうど作業にかかろうとした時だった。
 山かげに居た中学3年の私 たちは生き、日ざしの中で屋外作業していた一級下の2年生たちは全滅した。一刻も早く 家に帰りたい。しかし、市内に入る道路はすべてロープを張って進入禁止。市内から何百 人、何千人の人が逃げてくる。やけどをおい、着衣はぼろのようにこげ破れ、なぜかみん なユーレイのように両手をだらりと下げてやってくる。翌々日漸く市内へ入る。町の中は まだぶすぶすと焦げ、人の焼ける匂いが鼻をつく。「学生さん水をください」。ひとりの女性が 弱々しい声でずぼんのすそをつかもうとする。屋外作業をしていた兵隊が数十人塀を背に ずらりと並んで座っている。やけどのため顔も体も2倍にふくれみんな目がたれさがって いる。両親を探そうとあせる私、しかし死体は黒こげとなり、大人が子供のようにちぢこ まっている。とても探しきれないとあきらめる。

 やがて、夕やみがくる。元安川の土手に つかれた体を横たえようとふと河原を見ると、川の白洲が見えない位いのたくさんの人が川 へ川へと這いよっていくのが見える。一口水を飲んで息たえる人、途中で力つきて死ぬ人。
 翌朝土手で目ざめた私が何気なく下の河原をみて「あっ」と息を飲んだ。川の洲を埋めていた人影がす べて消えている。あのうめき声は一体どこへ行ったのか。静寂の中で白洲が朝の陽に映え 神々しいまでに美しい。死んだ人も生きていた人も夜の満潮でみんな海に流されていった のだ。静まりかえった朝の白洲に私は百幾千の墓標を見た思いで思わず手を合わせた。
(2005年)