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広島の声

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女性 直接被爆・距離2.5km(牛田)
被爆時12歳 / 東京都3112

被爆地の光景を紹介しています。写真はメッセージと直接関連はありません。  東京の大空襲で焼け出され小6の時、小2の妹と疎開して来ました。憧れの広島女学院 に入学でき、始めての夏休みでしたが学徒動員で市内の作業が始まり幸い私のクラスだけ が休日(6日のみ)になり、1ヶ月前に東京から母が来てくれ2人で父に手紙を書いてま した所、いきなりピカッと光り瞬間畳ごと外にとばされました。

 瓦やガラスで全身血だら けになり何が何だかわからないまま登校中の妹を探し3人で裏山へと向う途中、市内から 丸裸の学徒生、兵隊さん等が家の前の小川で全身大やけどの手で水をのんでました。母と すぐ家に戻り油を出したり(やけどにぬる為)自分の怪我も忘れ看護に当たりました。「お 母さんお母さん」と苦しそうに叫び乍ら息絶えていった姿は今でも鮮明に想い出されます。 あの生地獄は涙なくして語れません。亡くなった方々は軍隊の方が小学校庭に運び焼いて いました。夜は裏の竹やぶで3人野宿しました。終戦も知らぬまま不安な所へ東京から父、 兄、姉がかけつけてくれました。父は毎日毎日ドクダミ草をつんでせんじて飲ましてくれ ました。バラバラだった家族も欠ける事なく無事だった喜びは本当に幸せでした。
 両親はガン等で亡くなりましたが、兄姉妹4人は70才すぎましたが、何とか元気に仲 良く年1度は兄の所で集ってます。

 戦争だけは絶対に許せません。朝夕御神仏に平和と健康を祈る毎日です。私は優しい息 子、可愛い孫4人に恵まれ感謝の日々です。できるだけ取材は受けたくないのですが…。 想い出すのがつらいのです。
(2005年)